水彩画 徒然なるままに

自然の光と影を求めて、水彩画を描き始めました、そして懐かしい思い出もと思いました。しかし、ただの自己満足です、興味のある方はどうぞ

たゆたえども沈まず

この言葉は、パリ市の紋章とのこと、その説明は以下ですが、ラテン語からフランス語で、すみません、良く分かりません。



パリの紋章にはラテン語で”Fluctuat nec mergitur“と書いてあり、これはフランス語に訳すと”Il tangue mais ne coule pas(揺れはするが、沈没はしない)”となります。


「揺れはするが、沈没はしない」、そうつまり「たゆたえども沈まず」です。


紋章に船が描かれていることからもわかるように、この言葉は、「不安定で揺れはするが、決して沈没はしない」という船乗りの意志を表しています。



原田マハ著「たゆたえども沈まず」を読みました、主人公は、ビンセント・ファン・ゴッホと弟のテオの愛の物語、そして日本美術をパリに広めた日本人二人ととのからみの物語ですが、これは一部、原田マハ氏のフィクションです。


これを読む前に私は、原田マハ著「奇跡の人」を読みました、これはあの三重苦ヘレンケラー物語の日本版で、物語の進行は同じようなのですが、シュチュエーションと筆力というのでしょうか、読む者の気持ちを萎えさせない力があり、おもしろかったです。



ゴッホは、弟テオの経済的支えの中で絵を描き続けますが、その間のゴッホの気持ちの変化が実に見事に表現されて居ました。いくら絵を描いても売れない、その頃やっと印象派という新しい画風が認められ始めたパリ、その印象派の次の世代であろう、ゴッホ、セザンヌ、マチス、ゴーギャンなどの絵には、見向きもされなかったのです。


でも、捨てる神あり、救う神ありで、ごくごく一部の画商がゴッホの絵を認めて居ました。それがタンギー画廊の主で、ゴッホはその肖像を描いて居ます。


タンギー爺さんの肖像、バックには浮世絵が描かれて居ます、ゴッホは浮世絵に心底影響を受けたのでしょう。


タンギー爺さんの肖像は、この他に数点描かれて居ます。タンギー爺さんその人は、この絵を買いたいという者が現れても、売らない!!と宣言したようですが、実際買いに来るものは居なかったのです。


結局ゴッホの絵は、テオの努力の中でも、売れなかった(数枚は売れたという分析もあります)のです。ゴッホは、精神病院に入り、耳を自ら切り、最後には拳銃で自殺をしてしまいます。


その後直ぐに弟テオも亡くなります、ではどうやってゴッホの絵は売れたのか、それは、ゴッホの絵を愛したテオの夫人により、世の中の光を浴びることになるのです。


まさに、たゆたえども沈まず、何百枚と言う無価値の絵を預かったテオ夫人、つまりガラクラ趣味とも言われたテオ夫人は、ゴッホ兄さんの絵をこよなく愛していたのです。



凄い世界でした。