人生は物語
この歳になり、重い病をも得て、改めて思うのは、人生は「物語」なんだと思ったことです。
私の病は重いのですが一見元気です、太っても来ました(これはホルモン剤のせいです、多分)。ですので、久しぶりに会う友人から、〇〇、太って元気そうだなあと、言われます。それを否定する理由は一つも有りません。
それはどうでも良いのです。
私は病を得て有り難いと、何度も書いて来ました。バカ野郎!!、どこが有り難いんだと叱られてもいます。
でもこれは、私という、生き方が薄いと言いましょうか、あまり生に執着がないと言いましょうか、つまりぼーっとした生き方をしてきた私が、全く初めて自分を大事にしたいと思ったのが、病のお蔭だったのです。
ですので、ずーーと自分の人生を大切にして来た人達とは、次元を同じには出来ないと思っています。
★以前に掲載した、娘の別荘から望んだ、富士山です、本当はこんない大きくは見えません、デフォルメ絵画です。
病のお蔭という意味は、病により余命を告げられ、引き算の人生に入ったことが大きいと思って居ます。三年前の三月に、あと二年ですねと言われた時、そうかあと730日かと、引き算が始まったのです。
カウントダウンスタートでした、フランクル博士の人生には常に課題の雨が降っている、では有りませんが、私の最も大きな課題は、会社の再建でした。それをあと730日でやらねば成らない、出来るかなあと。
18年間赤字でしたから、出来るはずもないのですが、何故かその時絶対に出来ると思ってしまったのです。
で、なければ、自分の人生の物語は、何と詰まらない、人に迷惑を掛けただけの物語となってしまうと、情けなくなったのです。
私の人生の物語は、全く大したことのない重さなのですが、私にとっては一大事となったのです、今更?、そう今更でした。
会社が再建された姿と、会社のメンバーの笑顔を想像した時、絶対にこれを成就させねばと誓いました。
その頃です、このブログを書きはじめました、ですからこれは私の再建日記です、死に行くロード日記なのですが、斜めになって倒れるまでに、自分が誓ったことに嘘はないかと検診する日記でもあるのです。
日記なら一人でこつこつと書けば良いでのでしょうが、それでは意志の弱い私は続かないと思ったのです。
本当にお陰様で、会社は昨年度から黒字の決算を迎えることが出来ました。まだまだ沢山の債務の中で、でも、微かな未来は拓けたとは思って居ます。
でも実は、これは間接的な目的です、一番はそれにより家族が、会社のパートさん達の人生に、不安が無くなること、これが何より一番な訳です。
中小零細企業の親父はほとんど、全財産を会社に投入して居ます、私も全くそうです。ですので会社が駄目になること即、家族は家を追われるのです。それだけは防がねばと思い続けたこの二年半でした。
二年半?、そうですそうなんです、医者に言われた余命をすでに越えています。余命何物ぞ、ちょっとこの頃そう思って居ますが、先日の検診で、立派な大きさの癌が、ちゃんと鎮座していることは確認しました、これって、俺の息子?と思った次第です。
詰まらないことを書き連ねました、ごめんなさい。
人生は物語、生への執着が薄かった私が初めて、自分の命と向き合った二年半でした。そしてブログの多くのお仲間から励まされたり、泣かされたりと、これは私の物語の中軸となることは間違い有りません。
人生は物語、それは誰も変わることの出来ない物語、そう思いつつ、あとどれくらいか分かりませんが、もう少し続きを書いて行きたいと思った今宵でした。
失礼しました。
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