水彩画 徒然なるままに

自然の光と影を求めて、水彩画を描き始めました、そして懐かしい思い出もと思いました。しかし、ただの自己満足です、興味のある方はどうぞ

人生は物語 2

ニッポン放送の11時から、長く続いている人生相談コーナーが有ります。パーソナリティは加藤泰三氏(曜日によっては違う方です)、彼は冒頭でこう言います。


あなたの人生の物語を聞かせて下さい、と。


私はこの言葉を何気なく聞いていました、毎回(毎回聞いているのではありませんが)同じことを繰り返しているのを聞いている内に、思ったのです、自分は自分の人生の物語を、書き下ろしできるだろうか、と。


自分の人生をあまり大切には生きてこなかった、それは他人の人生も大切にはしてこなかったことの裏返しです。ですから、何か物語ろうとした時、直ぐに筆は止まってしまうのです。


☆植えたばかりの朝顔、もう咲きました、良い子です(笑)



以下は、私の小学校時代からの友人の話です。


結婚して、二人のお子さんに恵まれて幸せな生活をしているだろうと、そんな時、三人目が授かったと連絡も有りました。


しかし、それからふっと、連絡が途絶えたのでした。どうしたのかな、でも半年くらい連絡がないことなんてザラだから元気でやっているんだろうと思って居ました。



そんな矢先、一通の手紙が届いたのです。


☆冒頭にはこう書かれて居ました。
余りにも、二人の子が可愛かったので、三人目もと思い、神様から授かりました。家中大騒ぎで、その子の誕生を祝いました。でも、三か月過ぎても普通の子の反応が有りません、急ぎ病院へ連れて行きました。


診察の結果は、ダウン症、でした。


自分と妻は、奈落の底に落とされました、ダウン症の子供たちのことは、知らないことは有りませんが、自分の子供に!!と思ってしまったのです。



ここから彼ら夫婦の新たな人生が始まりました。語ると長いので、途中省きます、でも、結果は良かった、というよりこの子が産まれなかったら、彼ら家族は今のようにはなって居ないと、彼は私に伝えてくれました。


一番苦しんだのは彼の奥様で、身内から、〇〇の血には、こういう子が生まれるものは流れていないと、揶揄されたのです。その他にも、沢山の嫌がらせ、中傷の連続でその子を抱き締めながら、陰で何度泣き続けたかと、聞きました。


ダウン症の彼の名は、通称コーちゃんです、彼普通の子たちのようには育ちませんが、でも、可愛く可愛く育ちました。初めて逢った私を直ぐに覚えてくれて、おおちゃん、おおちゃんと呼びながら抱きついて来ます。


コーちゃんはすくすくと育ち、小学校へ入学と成りました。でも、実際にはなかなか受け入れてもらえなかったのです。小学校からは、ある条件が出されました。お兄ちゃんとお姉ちゃん(長男と長女)が一緒に通い、何か合った時は支えるという約束でした。


お兄ちゃんとお姉ちゃんは、二つ返事で、それを引き受けました。そのことを語る彼の目からは、涙が溢れて溢れて、言葉には成りませんでした。


お姉ちゃんから、こんな言葉も貰ったと、コーちゃんは私が守るから、いじめるやつがいたら絶対に許さないと・・・、宣言したのです。


コーちゃん、今年で33歳を迎えました。ダウン症の子はそんなに長生きはしないとの定説も有ります、彼らはいつも何かを覚悟しながら、コーちゃんのいる生活をしっかりと続けています。


彼は私に言いました。


コーちゃんのお陰で、家族に渦が生まれて、コーちゃんのお陰で、息子も娘も育ったと、いや育てられたと。そして自分自身も、コーちゃんのお陰で、人間らしい人間になれたような気がするんだ、と。


奥様今は実に堂々とされていて、でも、こんなに優しい人がいるのかと思うほどです。


コーちゃんのお陰で、家族の物語が出来たのです。コーちゃんこそ、神の子なんだと私は思いました。



私は重篤な病を得て初めて、自分と向き合えたと書きました。自分がもう一人の自分と向き合う、それも真剣に向き合うとき、物語は始まるのかも知れません、彼ら夫婦を見ていて、そのことを強く教えられたのです。


鏡を見ながら(あまり鏡は好きでは有りません)自分に呼びかけます。お前ともお別れが近いかも知れないと、それは辛く悲しいことだが、だからこそ、今日も精一杯生きるよ、と。