水彩画 徒然なるままに

自然の光と影を求めて、水彩画を描き始めました、そして懐かしい思い出もと思いました。しかし、ただの自己満足です、興味のある方はどうぞ

断捨離 娘の想い

断捨離とは?


「断」=入ってくる不要なモノを断つ
「捨」=不要なモノを捨てる
「離」=モノへの執着から離れる


例えば、モノが増えてきたから捨てればいい、ではなくて、自分にとって「本当に必要なもの」を見つめ直そうとするのが断捨離です。


これはこの言葉を広めたカリスマの言葉です。



会社の夏休み、三日目から決意した、やはり断捨離をやろうと・・・・、


きっかけは、溢れたパジャマでした。娘が毎年私の誕生日にパジャマを贈ってくれます、それが溜まりにたまり、数えたら約25着となって居ました。この25着が、タンスの二段を占領していました。


でもこの三年、娘はパジャマを贈って来なかったのです、原因は分かりません、しかし、娘の律儀な性格は変わって居ませんでした。


今年の誕生日に、一辺に3着贈って来たのでした、何で~!!


そういうことも有り、溜まった25着は全部娘からのプレゼントです、それを一着一着、出来うる限り断捨離して行きました。


★何度も掲載して居ます、41年前の娘です。右では有りません左ですよ(笑)



25着かあ、これはもう破れているなと、これはもう色あせたなとか思いながら、一年一着だから、41歳引く25着は16歳かあなどと考えて居ました。


あいつが、高校に入った年から、こんなプレゼントが始まったんだな、そして25年変わらず贈り続けて来た娘、何が起きても変わらないという執念のような、変わらない愛のようなと、私は褪せたパジャマを握りしめて居ました。


そしてハッと思ったのです、三年前に私は病が見つかり、余計な余命の宣告も受けました、でもあにはからずや、今も元気に生きて居ます。その間、娘からのプレゼントは途切れていたのです。


しかし今年贈られてきた三着のパジャマ、それを観て気づいたのです。その三着は、まとめて買ったものでは無かったのでした。


毎年毎年同じように娘はパジャマを買っていたのです、でも贈っては来なかった、その時の娘の気持ちは分かりません。


しかし思ったのです、苦しめて来たんだろうなあって、その三着を抱きしめながら私は目尻が熱くなりました。


たかがパジャマ、されどパジャマでしょうか、断捨離って、人の想いを再確認することなんだと、その時の気持ちを受け止め直すことなんだと思ったのでした。



後二日、断捨離は続きます(笑)、他の服達も溢れていますので。