水彩画 徒然なるままに

自然の光と影を求めて、水彩画を描き始めました、そして懐かしい思い出もと思いました。しかし、ただの自己満足です、興味のある方はどうぞ

人の心は 分からない けど

ブログを書き始めて、お仲間の投稿にナイスをしたり、
コメントを書いたりと、分かったようなことを書いて
いますが


実の所、何も分かってはいない


一方、そんなに簡単に分かられても困る、そうも言え
るでしょう。



自分の病は、自分の置かれた環境は、自分の悩みは、
誰にも分からない、これは最低基本条件と誰もが知っ
ているのですね。


病に掛かったから不幸、今の環境を背負っているから
不幸、この悩みを持ち続けているから不幸、そんな風
にも絶対思ってはいないのです。



こんな言葉が有ります、昔の賢人の言葉です。


自ら運命の責めを負うて感謝す


これは自分に雨のように降り注ぐ運命という容赦の無い
雨を、全部感謝して受け取れ、という意味でしょう。


ビクトール・フランクル博士、あのアウシュビッツ収容
所での記録は有名ですが、博士はあの過酷な状態の中で
も、生きることを諦めない人達がいたことを明かしてい
ます。


配給される、たった一つのパンを、身体の弱った仲間の
為に取って置く人達のことを伝えて居ます。


何故そんなことが出来るのか、それが自分に降り注ぐ雨
と分かっているからなのでしょう。


貴方たちの人生の課題は、いつも雨のようにあなた方に
降り注いでいる、だからそれを受け取なさいと博士は、
教えたのですね。


★写真はネットからです。



でも、だからと言って、人の心は分からない、これは変わ
らないでしょう。


若者が席を譲ろうと、必死で立ち上がったのに目の前のそ
の老人は、目をそむける、ワシは老人ではないという顔を
する、そんなことは日常茶判事です。



ひるがえって、でも私は、このブログに励まされています。


それは、多分、痒いところを掻いてくれているからかも知
ません、言葉の一言一言に、それを感じます。


所詮、人の心の中は分からない、これは当たり前のことで
す。何故なら、自分でも自分の本当の心は分からないから
です。


しかし、ちょっとした言葉に、はっと気づかされることは
多々あります。すーっと心の琴線に入り込んでくる愛語に
驚くことも多いのです。


長々と、失礼しました。