水彩画 徒然なるままに

自然の光と影を求めて、水彩画を描き始めました、そして懐かしい思い出もと思いました。しかし、ただの自己満足です、興味のある方はどうぞ

義母の居場所

平成23年頃のことです。


かみさんが、母を東京に呼ぼうかしらと独り言


私はこの言葉に傾きましたが、それはやはり駄目だろうと感じました。



それは・・・・、


東京の住まいの狭さ、そして近所の環境のこと


東京は夜になると、ネオンが輝き、これが何ともたまらないと思うご歴々も
いらっしゃると思いますが、これは都会に慣れた人達の演歌でしょう。



義母は、大自然の中で生まれ、その環境から一歩も外へ出たことが有りません。ちょっと見渡せば、山菜の宝庫のような環境、もうちょっと歩くと熊野灘の海、義父が元気だった頃の義母の生活はまさにこの、大自然と共に有りました。


私とかみさんが帰省しても、この生活の基本は少しも揺るぐことは有りませんでした。


★故郷の景色です、田んぼと川と山々、正面に街が見えますが少しオーバーに描きました右端の山は御浜富士と呼ばれている山です。この山々の裾野にみかん畑が広がります。遠くの山々には、湯の峰とか古い温泉郷が有ります。



孫が生まれ、その孫に逢いたさに義両親が、田舎から出て来ました。最初の日は良かったのですが、二日目からもう帰りたいと。


東京では全く田舎の日課を真似することも出来なかったのです。



田舎での義母は、朝太陽と共に起きます、そして何をしているのか分からないのですが、家中をせわしく動き回ります。その内、義父が起き、さあ~行くかとばかりに、ミカン畑に夫婦で向かいます。


義母は背中に何か背負っています、後でわかったのですがそれは畑で食べる
ブランチでした(笑)


そしてお昼前には帰って来ます。


帰って来た途端義父は義母に、さあ、昼ご飯だとテーブルに座るのです。


一緒に帰って来た義母、そんなもの用意する時間なんてないのですが、不思議なことにちゃんと昼善が提供されているのです。


ああそうか、朝義母がくるくると動き回り、何をしているのかと思ったことの正解がここに在るんだと、妙に納得しました。


義母は義父の生活の全てを支えていたのです。義父が箸を持てば、直ぐに料理が出て来るのでした。



そんな義父が他界しました。


義母はたった一人になりました。大きな田舎の家、そして広がる大自然、夜は狐の嫁入りも見える?ような、山々。


そしてすっかり衰えた義母の体力、そんなことをおもんばかったかみさんの
言葉、それが東京で一緒にでした。



義母はその提案をやんわりと断って来ました、でもそれは分かっていたことです。


大自然が居場所の義母、義父の為に全てのサイクルが有った義母、義母に残された居場所は、その大自然しか有りませんでした。


ネオン輝く東京は、義母にとって地獄以外の何物でも無かったでしょう。



義母はしばらくしない内に義父のもとへ旅立ちました。


朝の太陽がやさしく義母を包んでくれているようでした。