水彩画 徒然なるままに

自然の光と影を求めて、水彩画を描き始めました、そして懐かしい思い出もと思いました。しかし、ただの自己満足です、興味のある方はどうぞ

逃げるな 倍返しを食らうぞ 3

こうやって、食堂の厨房で、私の社会人生活が始まりました。


生活の拠点は、その食堂から数分の、男子寮です。


男子寮は汚い!!、というイメージ通りの寮、隙間風は当たり前、
玄関が横長の寮の中央に有り、上がって左側が食堂メンバーの部屋
が並んで居ました。


全部で6部屋、一部屋に3人でした。その廊下を進むと共同トイレ
がありました。ここをどう表現して良いのか、今もまだ困って居ま
す。


★写真はネットからです(当時の写真が無いので)こんな感じの寮でしたね。これは掃除が行き届いて居ますが(笑)



しかし、数十年後、同じ学園の高校生だった後輩と一杯飲んだ時に、
どこの寮も大同小異だと分かりました。


彼は自分の寮のトイレを、こんな風に表現して居ました。


(以下は気分が良くない表現があります、気分が悪くなりそうな方はスルーを)


富士山でしたねって。


何が?


いや、和式トイレのカメの中のことですよ(笑)


説明を聞きながら、あの光景が浮かびあがり、大笑いでした。


和式トイレのボットン部分に、溜まったあれが、富士山のように
盛り上がっていたのです。それは殆ど、入った時に見識出来る程
でした。


管理は寮長以下、メンバーに任されていたのですが、誰も掃除を
しない、誰も関知しない、結果、もうそこでは用を足せないよう
になっていたのです。



私はこれを見ながら、やはり帰ろう!!と思ったのです。全てが
万事という言葉が有りますが、一つのマイナスは万事に行き渡っ
ている、まさにそんな状態だったのでした。


それでも、やはり、何が起きても、あの親父との約束がよぎるの
でした。


そして、ふと、疑問も湧いたのです。


何故親父は、私をここに押し込んだのだろうと・・・・・、


それは後でわかったのです、それが、私の人生を180度変える
ことになったからです。


続く・・・(不定期です)