水彩画 徒然なるままに

自然の光と影を求めて、水彩画を描き始めました、そして懐かしい思い出もと思いました。しかし、ただの自己満足です、興味のある方はどうぞ

逃げるな 倍返しを食らうぞ 4

古く貫禄のある男子寮、しかしそこは、誰も管理していない
掃除をしたこともない寮でした。


そして、荒くれ共の巣窟のような厨房で、私の社会人生活は
スタートしました。


朝は5時起きです、今まで12時に起きていた私の生活が180
度変わりました。


どうしようも無い者達の中に、朝私を起こしてくれる先輩がいま
した。なぜか私だけを起こすのです。それは他の者達が起きない
からと、後で分かったのですが(笑)


☆写真はネットからです、この写真は、当時の下ごしらえ部門に
よく似ていたので掲載します、勿論こんなに綺麗ではありません
が、下ごしらえは、女性たちが中心でしたので、雰囲気は良かっ
たです。



信じられないことですが、炊飯は私一人でした(起きた者が)。
炊飯は、五升炊きの食缶(幅50センチ、高さ25センチくらい
奥行きも50センチくらいの四角でした)を24缶炊きます。


前の日に先輩が、お米を浸水させてくれていたので後は、火を
点けるだけですと、起したてくれた先輩が説明してくれました。


そして渡してくれたメモのようなマニュアルを片手で見ながら
飯炊きの開始です。何が何だか分かりません、でも15分くら
いで沸騰してくるから、そうなったら前後を入れ替えて、もう
15分弱火で炊くとありました。


釜の蓋を開けます、物凄い熱風が顔を焼きます。それを避けな
がら、五升の米の入った食缶の前後を入れ替えます。釜は三段
になっていて、二缶ずつ6缶、一つの釜に食缶は入ります。


その釜が、二つずつ並び、同じ釜が後ろにもありました。
全部で24缶、先ずはこれを順番に入れ替えるのです。


私、この作業だけでフラフラになりました、もう駄目!!と
思った時に、先輩たちが起きて来たのです。


おお、やっとるやっとるという感じでした、何だこいつらはと
思ったのですがそこは小心者の私、ニコッとおはようございま
す!!とばかり挨拶したのです。


もし、起きて来なかったら俺は倒れていた、間違いない、と。


それから戦争でした、炊きあがった飯を、バットに入れ替え
るのです。重いし、熱いし、出来たての飯からもうもうと沸
く湯気を、まともに浴びたら火傷もので、でも、ぐずぐずし
ていたら、炊けたご飯に湯気が回ってしまい、不味くなって
しまうのです。


時間勝負でした、24缶を全部バットに移し替えるまで、一
時間くらいでしたでしょうか、手は棒のようになり、でも、
直ぐに次の作業をせねばなりません。


バットに映したご飯を、おひつに移すのです。テーブルは、
6人掛けで、そこに一つのおひつを置きます。テーブルは、
100くらい有ったでしょうか、つまり100個のおひつに
ご飯をよそる訳です。


何でこんなに米を食うんだと、訳の分からないことを思い
ながらその作業は続きました、そして、どこからもなく聞
こえて来る、爽やかな声達、そうです、高校生たちが朝食
に来始めたのです、朝、七時でした。


ある者達は、わっしょいわっしょいと、朝練のままで食堂に
入って来ました。朝食前に運動をしているものですから、食
浴は旺盛、おひつは忽ち空となりました。


こうやって訳も分からず、怒号と笑い声の混じった中での、
初仕事でした。


食事って、用意より、後片付けが大変なんですが、それは
機会がありましたら書きます。そして、あまりにも大変な
ので、この時も密かに私は、帰る決意をしたのですが、そ
れはある先輩の出現で、う~ん、もう少し頑張って見るか
って、思ったのでした。


五升炊きの食缶の夢、今でも見ますよ、私。今もし、その
食缶を持てと言われたら、全然持ち上がらないと思います、
若かったんですねえ、丁度、20歳の春でした。


続く・・・・・・、