水彩画 徒然なるままに

自然の光と影を求めて、水彩画を描き始めました、そして懐かしい思い出もと思いました。しかし、ただの自己満足です、興味のある方はどうぞ

逃げるな 倍返しを食らうぞ 5

このシリーズ、まだまだ長くなりそうなので、はしょります。


要は、ノンポリ学生だった私が、社会と言う風も雨も降る、
自分の自由にはならない世界に飛び込んだ訳です。ここだけ
が酷い、そうういうことではないのです。


ただ余りのギャップに驚き、逃げだそうと何回も思ったのを
食い止められたのは、親父との約束だったのです。


では何故親父は私をここへ送り込んだのか、何かが分かって
いて、そうしたのか、でもそれは無かったでしょう。


しかし、1~4に書いたように、どうも普通とは違う環境で
あったことは確かだったと思います。



私に与えられた職場、それは炊飯でした、その始まりについ
ては4で語り始めました。


そして、半年ほどの時が過ぎました(無事に過ぎては居ません
物凄い半年でした、でもそれも今は、青春の一ページだと理解
しています)。


炊飯の仕事が慣れた頃です、職場の上司の交代が有ったのです。


その頃、この食堂では大きな課題(問題)が有りました。それは
厨房のことではなく、食堂ホールの方でした。


1000人が一度に食事が出来る程の大きさです、500坪以上
は有ったでしょう。


その床は黒のPタイルで出来て居ました、でも、それが黒のPタイ
ルと分かったのは、かなり後のことだったのです。


☆写真はネットからです。こんな感じのホールでしたかねえ、これのでかいやつです。これ床は綺麗ですが、ここが学生が運んでくるドロで化粧されていたのです。



もう分かりますね、課題はこの広いホールの掃除でした。別に掃除
担当が居る訳ではなく、この管理も厨房員に任されていたのでした。


そうだったんだと分かったのは、新しい上司の言葉でした、それま
で、誰も掃除などしては居なかったのです。寮の掃除もしていない
くらいですから・・・、私は唖然としました、出来る訳ないじゃん
って。



その食堂課長が就任し、その挨拶の中でこんな言葉をくれたのです。


人生で大切なことは、今立っている土台(職場)の上で、全力を尽
くすことです。あなた方の未来は、必ずその向こうに見え始めるこ
とでしょう、と。


私はこの言葉を今でも覚えているのですが、その時は、何を言って
るんだか?と、馬鹿にもしていました、どうせ口先だけだろうと。


しかし、違ったのです。今までの上司はゆっくりと出勤し、さあ~
っと帰る人、現場にはあまり顔を出さない方でした。


新しい上司は、この言葉の翌日からスタートさせたのです、何をで
すか?って、ええ、掃除を始めたのです。


翌日の5時にいつもの通り出勤した私、おかしいな明かりが点いて居
るぞと、消し忘れかとホールに出ると、一人ほうきと塵取りを持っ
た上司が、しこしこと掃除をしていたのです。


何!!、何だこの景色は・・・・、


でも、500坪以上もあるホール、何ともなりません、でも、その
掃除はそれからずっと続くことになったのです。


続く・・・・、



あと一回で終わると思います、今少しのご辛抱です、来年には持ち
越さない、です。