逃げるな 倍返しを食らうぞ 7(最終)
あの~、僕達に掃除を手伝わせてくれませんか?
もじもじしながら、なかなか言葉が出なかった高校生が放った言葉でした。
何を言われたのか、何が舞い降りたのか、その時は、分かりませんでした。
え!!、何でそう思ったのですかと、私。
それは~、僕たちは結構朝早くから練習しています、朝練です。
その時いつも走りながら、食堂の横を通るのです。そうすると仲間が
こういうのです。
まだやってるよ、誰だあの人は?って
それが、食堂の課長さんだって分かって、何だろうなこれってと
皆で話したんです。
私は、いや、その時、私の心は感動して居ました、心がぶるぶると動いて居ました。
生きてきて21年、そんなことは一回も無かった、いや忘れているのかも
知れませんが、人生に感動するなんて無かったんです。
ありがとう、本当にありがとうと、彼に伝えました。気持ちだけ一杯受け取
り、後で返事をさせて下さいと、洗面器を持った彼に伝えたのです。
そしてそれから、それとは別に、実に多くの変化が現れたのです。
高校生の後は、大学生でした。大学生の後は、学園職員でした。
次々と、手伝わせて下さいと、申し出が有ったのです。
何だこれは、何だこの動きはと、私だけではなく食堂メンバーが驚いたこと
でした。
その頃には、いつの間にか、食堂メンバーも全員、ホール掃除に参加していたのです。
ある日、食堂主任が私を呼ぶのです。
こっちこっちと、そこは食堂の入口です、わっしょいわっしょいと朝練を終えた
高校生達が、走りながら食堂に入って来ます。
それを見ながら主任が私に、観て見ろよ、みんな靴を拭って入って来ているよ、って。
そこには靴拭ぎのマットがあります、今まではただ走って通り過ぎるだけでした、
しかし立ち止まり、靴についた泥を拭っていたのです。
すみません、はしょってしまいました、でも、こんな出来事をまじかに見たのです。
たった一人の、それも何も求めない行動が生み出した奇跡、でした。
その頃には、このホールは、何もしなくてもピカピカのPタイルとなって居ました。
うお~、こんな真っ黒なタイルだったのかと驚いたのは、厨房調理の先輩でした。
高校生の希望は、サンデーサービスという形で実現しました、日曜日に、掃除の
サービスをするのです。
大学生と職員達には、平日の午後にやって貰いました、でも、もうその頃には、
ほとんど掃除の必要は有りませんでしたが・・・・、
真の愛は、無から有を生むと
食堂課長が投げかけた、波紋、それは確実に池の隅々に届き、それぞれの心に、
有を生んだのです。
50年前のこの経験は、その後の私の人生の舵と成りました・・・が。
しかし、直ぐに忘れる私でした、21年前に赤字会社を継いで、17年続いた
赤字の中、ふと思い出したのがこの出来事でした。
そうなんだな、要求心無しなんだ、そのことを思い出したのです。
やっと浮かび上がった最も大切なこと、この本当に厳しい現実の中で、思い出
させてくれたのでした。
何故親父は私をここに送ったのか、それは分かるはずも有りませんが、会社が
黒字転換した年に私は親父の墓前に向かいました。
親父、ありがとう、と、本当にありがとうございました、と。
長文失礼しました。また、ここまでお読み下さりありがとうございます。
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