水彩画 徒然なるままに

自然の光と影を求めて、水彩画を描き始めました、そして懐かしい思い出もと思いました。しかし、ただの自己満足です、興味のある方はどうぞ

カミュの「ペスト」より

私は読んで居ません、ネット検索をしている内に、こんな感想に出会いました。



この小説は現代に通じる人間心理を書く。


災害に襲われながら、それが通り過ぎると
なんら教訓を引き出そうとしない「懲りない」
人間たちを、突き放すでもなく、諦観するで
もなく、ただただ冷静に記述していく。


その冷静さが不気味なほどに読むものを恐怖させる。


終結をただただ祝うものたちは、それまでの犠牲を
すべて忘れている。死んでいった男女を思い返すこ
ともない。


しかし、それが皮肉なことに人間の強み
であり、罪のなさであり、人間性なのだ。



★以下は、この本の最後に書かれている言葉です。


<おそらくはいつか、人間に不幸と教訓をもたらすために、ペストが再びその鼠どもを呼びさまし、どこかの幸福な都市に彼らを死なせに差し向ける日が来るであろうことを>




以前、長崎の原爆記念館を訪れた時に、思いのほか、
日本人の少なさに驚かされた。


かくいう私も、初めての訪問で何故自分がそれに驚いたのかを
説明も出来ないのだが。


そこには悲惨という言葉を越えた世界が広がっていた。


この爆弾を落とせと!!と指示した人間がいたという事実
その人は、この現実を真正面から見つめたのだろうかと。


いや、広島にも落したのだから、何も観ていないのだろう。


もし状況を直視していて、その人が人間ならば、広島に
落した後に、生きて行くことすら出来なかっただろう。



その、世界でただ一国、原爆の被害を受けた日本が、核兵器禁止条約
にサインをしていない。


唯一の被爆国がサインをしないことに、さぞかし驚いただろう世界は、
こうやって、原爆の悲惨さは限りなく薄まって行く。



これはただ単に、サインと日本の国益を天秤に掛けた結果と思う。


でもそれは、遠い将来を見据えられるジャイロ天秤だったかと問われれば
否でしかないでしょう。



何が起きてもそれが通り過ぎれば忘れてしまう私達、
それが人間とも言えると。だから私達は、生きて行ける
んだと。


だからカミュは最後に書いたのでしょう、またどこかにネズミ
が現れるだろうと。


そしてまさに今、そのネズミは世界中を席巻しているのです、
私を含めた世界中の懲りない面々の前に。



読んでもない私が、本当に失礼しました。