愛は苦しみの向こうに
昔昔の映画、
愛は静けさの中に
こんな題名の映画が有りました。
覚えているのはストーリーではなく、音の全く聞こえない
聾唖者に何とか音楽を理解させたいと願う教師が、ガンガン
と音量を上げて、そしてその音に合わせて床をドンドンと
叩くのです。
響き、振動、それは聾唖の人達にも伝わったのでした。
耳ではなく身体に響くその振動は、リズムとなり、彼ら彼女ら
を音楽の世界に導いたのでした。
無音の世界がどういうものなのか、それは海を観たことのない
誰かに、説明することに等しいでしょう。
その無音の世界の門を叩いた、それがリズムと振動だった。
彼ら彼女らが初めて出逢った世界、それは苦しみの果てに生れた
偶然の贈物だったのです。
涙を流す人人人、これが音楽なのねとその涙が語っていたのです。
そして踊りまくったのです、床にリズムを刻みながら踊り狂った
のです。初めて出逢った世界を抱きしめるように踊ったのでした。
まさにそれは、愛は静けさの中に、でした。
★空ちゃんです(掲載二度目です)、ブログのお仲間のインコです、可愛くてかわいくて
描かせていただきました。
私達に降り注ぐ雨、その雨のように、私達の人生にはもう要らないのに
次々と課題が降り注ぎます。
その課題は、逃げれば逃げる程大きくなって襲って来るのです。
でも、何が来ようと恐れずに全部正面から受け取った時多分、
何かが弾けるのです。
私の場合それは、重い病と同時に襲ってきた、会社倒産への序章
でした。
それから5年が流れました、あなた、それを正面から受け取った
のですか?と聞かれたら、う~ん、そんな教科書のようにはねえと
でもこう思ったことは確かです、起こったものは仕方がないと、
この二つを背負い、でも精一杯生きようと、思ったと。
カッコよいでしょう、でも、その頃の心の内は、余りの苦しみで
ほとんど忘れて居ますね(笑)
そして今、思うのです。
愛は、愛という何かは、苦しみの向こうにあるんだと、
私はまだまだ、この苦しみの世界の途中に居ますので、愛という
果実を、受け取った訳では有りません。
でも今は、何となく分かるのです、私にまつわる世界がやさしい
からです。
でもこれは、私だけの主観です。生れた時からずっと愛にくるまれ
て過ごす人はいらっしゃるでしょうから。
主観ですから、あまり参考にはなさらずに
失礼しました。
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