水彩画 徒然なるままに

自然の光と影を求めて、水彩画を描き始めました、そして懐かしい思い出もと思いました。しかし、ただの自己満足です、興味のある方はどうぞ

一か月検診 いったい何が起きているのか

一か月検診でした、都合何度目でしょう
5年×12=60、正確では有りませんが
これくらいは通っているなって。


島崎藤村の詩の一節


リンゴ畑の木のしたに
自ずからなる細道は
誰が踏みそめし片溝と
問いたもうこそ恋しけれ


病院と恋している訳ではないですが、この道は
藤村の詩のようだなと、病院への商店街を
歩きながら郷愁に浸りました。


この道は、恋人に逢う前は不安で不安でたまらない道
逢瀬の後は、ほっとしたり、細い道を踏みしめながら
また逢えるだろうかと思う道



まあ、恋に浸っている訳ではないので、郷愁はこの辺りで


昨日は約60回目の検診でした。


私の診断は中央練の4階、多分目を瞑って居ても辿り着く
でしょう。



数値落ち着いて居ますねと 先生


????・・・・・・、私は何かを問おうとしたのですが
言葉には成りませんでした。


何を問うても、出る言葉は分かっていたからかな
つまり今の私に起きていることは医者にも分からない
のでしょうから、


十人十色ですからねえとはぐらかされて終わり、なのです。



30年掛けて育てましたね、5年前、これが最初の街医者の言葉
でした。


こんな大きな癌は観たことが無いと、感想付きでした(笑)
癌相が悪いと、聞きもしないことをペラペラと話す医者
触ると(直腸から触れるんですね)岩のように固い癌
それも大きいです、赤ん坊の頭くらいあるねと。


う~ん、余命二年くらいかなって、これも聞きもしないことを
話したんですよ、私に。


直ぐに検査出来る病院へ行ってください、紹介しましょうって
何処が良いですか?


この質問には参りました、どこが良いか?ですか・・・、
死に場所を聞かれたような気がしたんです。



そうか、まだあの病院有るよなと頭に浮かんだ病院名を告げました。


お医者は早速そこへの紹介状を書きはじめたのでした。


そこは母が私を産んだ病院でした、産まれた所で死ぬのも
良いかなんて、ちょっと思ったのかも知れません(笑)


72年ぶりの逢瀬が始まったのでした、それから60回、
もう余命告知から3年が過ぎました。


あの樹々希林さんがおっしゃっていた言葉、死ぬ死ぬ詐欺、
それが今現実となっています。



昨夜も、お腹を触りながら話をしました、誰と?


いえ、我が相棒の「太郎君」とです。


共存に決めたのかい?と、お前が頑張ると俺は死ぬよって
一緒に生きて行こうよと、毎晩呼びかけて来ました。



いったい何が起きているのか、提供され続けた薬、6ケ月
前に投与が中止された薬(骨を守りましょうと)、今はまだ
飲まなくても良いでしょうね、と・・・・、


60回も逢瀬を繰り返してきたお医者さん、昨日は
不思議そうな顔で私を見つめて居ました。


いったい何が起きているのか、それは誰にも分からないのですね。


続く・・・・・(不定期です)