水彩画 徒然なるままに

自然の光と影を求めて、水彩画を描き始めました、そして懐かしい思い出もと思いました。しかし、ただの自己満足です、興味のある方はどうぞ

死ぬ前の三日間の幸せ

以下は、以前にも少し書いたことです、また死ぬの生きるのと
書いてあります、どうかご興味の無い方はスルーをお願いします。



昔、こんなことを聞きました。


人生、死ぬ前の3日間が幸せだったら、それが最高なんですよ、と。


なんだこの人は、死ぬ前の三日間?だけ?、それまでは泥沼でも
良いんだって?、


何を馬鹿なことを、今ではないか、今幸せでなければ
何なのか、人生とは


でも現実は、今、心穏やかな日々を送れている人は少ない
それは仰天の星であろう。



翻って考えて見ました、死ぬ前の3日間が幸せであれと


そうだな、少なくとも私の身内、ご先祖(知る限りの)
見渡しても、こんな境地の人は見たことが無い。


沢山の管を付けられてモルヒネを打たれて朦朧とした
まま、逝った方が多い。


私の父親は、私を含めて親不幸の子供達を持った、
父親が召された時は、その周りには誰も居なかった。


病院から知らせを受けて駆け付けた時は冷たくなって
いたのです。


言葉に出来ない程の寂しき最後、それは親父自身のことに
違いないのだが、でもそれは、


死に目に逢えなかった私達に問われている深い課題なん
だと、気づくのに時間が掛かったなあ。



かくのごとく、実に簡単そうな死ぬ前の三日間の幸せ
だが、それがどんなに困難なことかと、想像も出来ない
程です。



私はたった一人、それを実現させたのではないかという
人を知っています。


その人は、世の中の苦労を一手に引き受けたような人生
だった、奇病と言われる世界を50年味わって死んだ
のです。


その間、自殺未遂が三回、死ねなかった。


一見、脳性まひに見える彼の姿、それが義兄の姿でした。



晩年義兄は、ある施設にお世話になって居ました。その
施設から電話が入ったのは平成も末頃のことでした。


彼は、食を断ったのでした、まるでそれは空海のようと
施設の人の影の口でした。


食を断ち一か月、彼は眠るように逝ったのでした。施設の
皆に囲まれて、そして身内に囲まれて、


グッドバイと、逝ったのです。


彼は頭脳明晰でした、そして英語が得意でした。私にくれ
続けた笑顔を、いつまでも忘れることは有りません。


おそらく彼は、死ぬ前の三日間の平穏を味わえた、数少ない
一人と思います。



家族に囲まれて、ありがとう!!と言いたいと、おぼろげにもそんな夢を
描いている、


しかし、自分のことだけで心が一杯の、ごく普通の人生では、
それは有り得ないんだということが分かるのです。