夏休みの宿題と私
余命を告げられてから、引き算の人生に入ったと、何度も書いて来ました。
これは、私に取っては良かったと、思って居ます。何を馬鹿なと思われる方が多いと思います、これはあくまでも、私に取っては、ですので誤解なきよう。
思い出します、夏休みの宿題、取りかかったのは8月の30日頃、31日の時も有りました。それまで私は何をしていたのか、今考えても、何も思い出せないくらい、何もして居なかったです。
明日やれば良いことを、前倒ししてやってしまう人が居ます。そんな人の人生と私の人生は真逆だなと思ったことも有りました。
期限を切られなければ何もしなかった私、それはあれから50年以上過ぎても変わりません。いつも瀬戸際で動き出す、それが私でした。
そんな私に、余命を告げる神様が現れました、多分そうでは無いのかと解釈して居ます。
神様 お前なあ、もうちょっと人生を真剣に進めないか
私 まだまだ人生は有りますから・・・なかなか
神様 そうか、直っとらんな、何も
私 ?
神様 お前に寿命を授けよう、やり残したことをやれるだけの時間を
私 ?・・・・・・・・
やり残したことは何かと問われても、なかなか答えは出ません。しかしやらねば成らないことは目の前に山積みです。このやらねば成らないことが、やり残したことなのかと、この頃思います。
それはまるで「夏休みの宿題」のようです。お前なあと、神様、分かりましたよと私、これこそ「天命」なんだなと、命にも期限を切られないと何も進まない私、でもそのお陰でやるべきことがあぶり出されました。
夏休みの宿題は先生が出してくれます、しかし人生の宿題は、自分で気づきあぶり出す、それしか無いんだ、無いのです。
失礼しました。
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