水彩画 徒然なるままに

自然の光と影を求めて、水彩画を描き始めました、そして懐かしい思い出もと思いました。しかし、ただの自己満足です、興味のある方はどうぞ

死ぬ時に少しでも微笑むことが出来たら 水彩画

*以下の記事は、死ぬの生きるのと面倒くさい言葉が出て来ます、面倒くさい
 言葉が苦手な方はどうかスルー下さい!!



こんな表題のような、アホなことを時折思う


ちょっと以前、終わった人、という映画を観た
何の終わりなのか、


仕事が出来なくなったから終わりなのか、
役立たなくなったから終わりなのか


もう希望がないから終わりなのか、


私の友人知人達、もうリタイアして第二の人生を歩んでいる
この頃、クラス会も無いので、今は分からないが、


クラス会で集まると、必ず出て来る言葉がある、
それはあの頃は良かった!!という言葉


言い変えると、あの頃俺は輝いていたという回顧なのだろう


今はもう輝いては居ないのかと、そう質問出来る雰囲気は
ない、退職とは、社会との疎遠のことなのだ


怒涛、流れ続ける水達、しかし常に同じ水はそこには居ない、鴨長明
の言う通りです。



西郷輝彦さんの最期の様子を、辺見エミリーさんが語っている
それは飾りに飾った言葉には違いないが、もしかしたら


これは真実ではないかと思う言葉が有った


父は、意識が朦朧とする中で、私と気づいたのでしょう、
そしてその時、ちょっと微笑んだのです、と。


私は心の中で、あなたの子供に生れて本当に嬉しいと、
感謝して居ますと


再び朦朧とした世界に入っていった父に向かって手を
合わせました。



でも私は今まで、死ぬ時に微笑んだ人を知らない
それくらい死ぬ瞬間は、それどころではない、それは知って居る


だいたい、意識がありながら死んでいく、なんてこともない
誰もが、壮絶な死に方をする、心臓麻痺でさえ、その瞬間
は物凄い苦しみが来る、例えようもない苦しみだ


それでも尚、思うのです、自分は死ぬ間際に笑顔を向けたいと
多分今、それ以上の望みはないだろう


終わってしまった男の最後のあがきか(笑)、最後の感謝か


その瞬間が壮絶であればある程、そう有りたい、そう有れたら
と願うのです。