九品仏 紅葉(もみじ)
全く季節外れです。
昨年秋の参拝の写真からです、新しい住職さんが、モミジ好きなのでしょう、その美しさに負けて居ます。
さて、人格って何だろうと、新天皇を見ながら、想いを馳せました。
高い人格、高い品性、それはどんな力なのか、姿なのかと、でもいくら考えても分かりません。
ドイツの児童文学家に、ミヒャエルエンデがおります。私の好きな作家で、特にモモという作品は有名です。
ももという小さな女の子が主人公で、エンデはモモの特技についてこう語ります。
ちいさなモモにできたこと
それはほかでもありません。
相手の話を聞くことだけでした。
そして、こうも言います、自分のことだけで風船のように心の中をパンパンにしていると、相手の言葉は入って来られないと。
今は上皇陛下となられた陛下、そして美智子様の被災地でのお姿が浮かんで来ました。ある被災地の方の感想にこんな言葉が有りました。
ひざまずき、話を聞かれる天皇陛下は、一切私達の言葉を遮らないのです、ただひたすら聞いて下さいました、と。
これが出来そうで出来ない、いや多分全く出来ないでしょう。相手を遮り、持論を展開してしまう、これが普通の私達と思います。
モモの心はからっぽです、だから相手の言葉や気持ちが沢山入って来るのです。どんな無口のおじさんも、モモの前に座ると、話したくなってしまうのです、と、エンデは言います。
ただこれだけのこと、それが人格とか品性と言われるものの正体か!!と思いました。
愛の反対は無関心と言ったのはあのマザーテレサですが、誰もが自分のことで心をいっぱいにして居れば、この言葉も一つの真実と思いました。
私達は、人の為に出来ることなんか多分有りません。
でも、たった一つあるとすれば、心の中にある自分のことをからっぽにして、相手の話を聞くこと、聞きたいと思えること、それしか無いと思いました。
失礼しました。
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