死を生きる人達、とは
縁起でもない話かも知れません、ご興味ない方はスルーをお願いします。
小堀医師、NHKスペシャルで、特集が組まれて居ました、残念ながら私は観て居ません。
小堀医師は、在宅訪問医師で、在宅のまま最期を看取る努力を続けてきたお医者さんです、元は東大病院の外科医で、おじいちゃまがあの森鴎外なのでした。
それはともかく、この表題が気になるかと思います。死を生きた人々とは、もう本来なら死んでいるのに、病院で延命をさせられる人達の心境を現した言葉です。
★小堀先生です。
お袋が、間もなく鬼籍の人となる前のある日、こんな言葉を私に浴びせて来ました。夜が長いんだよ、夜が・・・と。
子供達は、どんな姿でも、お袋に一日も長く生きて欲しいと思っている、でもそれは、決してお袋の立場には立っていないんだと、気づくことは無かったのでした。
思い出せばその目は、もう許しておくれ、もう良いんだよと訴えていたのだと思います。
お袋は既に、死を生きていたのだと。
兄貴は病院のベッドで、口から食べ物を取れなくなり、胃瘻を施されていた。意識はもうろうとしていたが、時折正気の兄貴がそこにいた。その兄貴の目を観た時私は、お袋のあの時のあの目を思い出していた。
兄貴も同じだった、同じように死を生きていたのかと。
小堀先生は、病院で死ぬということは、このようなことだと喝破し、でも、医者はそれを止めることは出来ないと。でも、この日本では、在宅で死を迎えることの大変さは尋常ではないともおっしゃっています。
幸せな死に方ってあるのだろうか、その人にとって・・・、
私の祖母は、昼間大相撲の栃錦を観て、その日の夜に倒れました、脳梗塞でした。そしてそのまま、翌日の朝鬼籍の人と成りました。
祖母は少なくとも、死を生きることはなかったのです。死を生きるという、拷問は避けられたのでした。
私達は、結婚するより別れる方が余程大変だと知って居ます。一つの家に10年も住めば、放って置くとゴミ屋敷となる程の荷物も溜まります。
さて、人生はどうでしょうか、80年90年も生きた人生には、どれほどの副産物が寄り添っているのか、そう思うと、大きく心が揺らぐこの頃です。
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