水彩画 徒然なるままに

自然の光と影を求めて、水彩画を描き始めました、そして懐かしい思い出もと思いました。しかし、ただの自己満足です、興味のある方はどうぞ

小さな死が教えてくれる 大切なこと

私達は、小さな死を繰り返しながら、人生を旅しています。


小さな死とは、心の壊死、そのことで心の一部が壊れてしまうような出来事を経験しながら、その一部は事により、火山の噴煙のように心全体を覆ってしまう時もあるでしょう。



私のことで僭越ですが、このブログを書こうと思い立ったのは、この「小さな死」が動機でした。


もう駄目だ!!、会社が続かない、さあどうしよう!!と街をさ迷いながら私は、このまま何処かへ行ってしまおうかと何度も思ったのでした。


その時はまだ、癌の診断は受けては居ませんでした。


会社が無くなることは、私のほんの少しの財を全部失うことと成ります。家族が住む家も、月々の僅かな収入も、得られなくなる訳です。多くの中小零細の親父たちは、同じように全財産を銀行保証に入れているのです。


そしてもう一つ、こちらの方がもっと重いことです、働いている人達の職場が無くなることです。私共のパートさんは、10年以上のベテランさんが、中心を成して居ます。


もしかしたらこれが一番重いかもそれは、創業85年という歴史です。平成10年に65年続いた会社が廃業しました、そのお客様を受け継いで生まれたのがこの会社でした、その頃から三代続けて私共に仕事を提供してくれているお客様は多いのです。


それらが頭の中をグルグルと回り続けて、心が壊死して行ったのでした。どうしようもない社会の海の中で、溺れ死ぬことばかり考えていた私でした。


でも、そんな中で、わざわざ死ななくてもちゃんと死ねると、癌という病が、扉を叩いて来ました。末期がんの診断、余命の告知、実はその時私は、心のどこかでそれを喜んだかも知れません。


死ねるんだ!!と・・・・、


何とも情けない、心の壊死、人は心が小さな死に向かうと、こんな発想にもなるのか、いやこれは人ではなく、私のこと、このきついダブルパンチに笑うしか無かったとも言えます。


でも、心の片隅で、まだ壊死して居ない心が私に問うのでした。お前の人生、これで終わったら、何だったんだ!!と、問うのです。



それから4年が過ぎました、余命二年を告げられて3年です、その後も心は何度か小さな死を繰り返して来たかと思います。でも思うのです、臭い言い方ですが、人生に無駄なことは一つもないと、人生に起きること全てを受け取ることで、その人の人生はその人の物語となると。




そう思ったら、こんな良寛和尚の句が浮かんで来ました。


うらを見せ 表を見せて 散るもみじ


これは良寛和尚の恋人?(尼僧さん)に捧げた句、辞世の句とも聞きます。自分は貴女に、裏も表も全部を見せて生きて来て、本望と、亡くなったのです。


心の小さな死、折角のそれをちゃんと受け取り、大切に生きねば成らないと、心底思うこの頃です。