水彩画 徒然なるままに

自然の光と影を求めて、水彩画を描き始めました、そして懐かしい思い出もと思いました。しかし、ただの自己満足です、興味のある方はどうぞ

人生に無駄なものは一つも無い

この言葉は、いかようにも解釈が出来る私達の人生という旅に、一つの強いクサビを打つものでしょう。この言葉は嫌いだ!!という方も多いと思います。


つまり、この言葉とは真逆に、人生は無駄ばかりとも言える訳です。



昔、二人の目の不自由な兄弟の話を聞いたことが有ります。



この二人は、目が不自由という現実を、それぞれがそれぞれに、真逆に受けとり、それを、それぞれの人生に反映させて人生を歩みました。


兄は、目が不自由なことを恨みに思い、親を攻撃し、自分の運命を呪って生きたのでした。


弟は、目が不自由なことで、どんなにか親は心配しただろうかと、自分の生まれつきの親不孝を謝りながら、生きたのです。


この話は実話です、結果後者の弟は、按摩の道を目指して、晩年は按摩さん達の(協会の)リーダーとなったのでした。前者の兄は、残念ながら、良い人生は歩めなかったと、聞きました。



これは、人生とは考え方と生き方次第となるのですが、私はこの話は、そう簡単なことではないと思ったのでした。


目が不自由という現実を抱えて育った人が、目が不自由に生まれてしまった自分は、生まれながらに親不幸だったと、どうして思えるのか、この部分です。


これは他人のことですので、話を聞けばさもありなんと思えます、でも、自分がその立場となった時にそれが出来るのか、はたしてそんな発想が生まれるのか、これは重大な設問です。


つまり、その発想と生き方が、真に自分を生かす道と思えるのか、この部分だと思いました。


これは、自分の人生の「品質」を、どう考えるかとも言えます。


人生に無駄なことは一つも無いと、思える人生は、何が起きてもそれを正面から受け取ることに他ならない、それがこの目の不自由な兄弟の物語が、教えてくれていることと思いました。



京アニの事件で、亡くなった方々に心よりのご冥福を祈らせていただきながら思うのは、やはり残された人々の課題のことです。


何故死んだのか、何なんだこれはと、その現実を受け止める心の作業は、想像を絶する暗闇と思うからです。


失礼しました。