水彩画 徒然なるままに

自然の光と影を求めて、水彩画を描き始めました、そして懐かしい思い出もと思いました。しかし、ただの自己満足です、興味のある方はどうぞ

障害者は要らない

ブログのお仲間の記事に、この言葉が有りました。以下長く成ります。


障害者は要らない、お仲間の言葉では有りません、おめでたになったある女性が、親戚に言われたとか、その親戚筋に精神障害者がいるとのことで、遺伝したらどうするんですかと、言うことらしいです。


辛く悲しい言葉だなと思いました、どう人生を生きてきたら、そのような言葉が生まれるのかとも思いました。


知らぬ間に固定した、その人の「人生観」が、この言葉を吐かせたのでしょう。



以下、私事ですみません。


私は結婚する前に彼女に、逢って欲しいと頼まれた人がおりました。それは彼女の兄さんでした、ずっとある病院で生活をしているということでした。


その義兄は先年亡くなりました、享年66歳でした。死因は、自ら食べ物を拒否した結果でした。18歳で倒れて、66歳まで生涯を病院で過ごしたのです。


☆義兄が少年時代遊んだ、熊野川上流の風景です(以前に掲載した絵です)



義兄はいわゆる障害者です、それも脳性マヒに見える障害者でした。その兄に彼女は、私を引き合わせたのです。その上で、結婚をということだったのかと思いました。


彼女の気持ちはいかばかりかと察しました、義兄が何故そんな状況になったかは後で知りましたが、それよりも彼女は私に、これが私の兄ですと堂々と逢わせたかったのです。


その上で、私がどう感じるかは、私の判断と思ったのでしょう。でも私はそうやって正面から逢わせてくれた彼女に感謝しました。言葉が上手く出せない義兄、でも、満面の笑みで私を迎えてくれました。


後年、義兄の病の原因が分かりました。妻も妻の両親も、病院の先生たちも分からなかったのです。その病名はウイルソン病、原因は10万人に一人と言われるキャリア同士が結婚した時に、生まれるかも知れない難病でした。


身体から銅が排出されない病、その銅が、身体の中で脳の中で悪さをするのです。運動機能を奪い、言語中枢を襲い、肝臓を巣喰うのです、恐ろしい病です。


田舎では、誰誰さんの息子さんは、おかしいよと噂されて、田舎のことですから、面白可笑しく噂されて来たのです。


私は初めて逢った時、ああ、この兄は脳性マヒではないと分かりました。余りにも反応が早かったからと、目にやさしさが溢れていたからです。


義兄の最後は、病院でも噂と成りました、食べないで身体が徐々に衰えていく、その方法を選んだ兄はまるで、空海かと思わせられたのです。一ヶ月の絶食、それを貫いて義兄は逝きました。


それ程に、精神はしっかりしていたのです。頭の良い兄と妻は私に伝えてくれました、18歳で倒れる以前には既に英語をマスターしていたのです。


しかし倒れてから、脳性マヒのような状態になってから義兄は3回、自殺未遂をしています。耐えられなかったのです、心と体のアンバランスに耐えられなかった、そう感じて居ます。


そして最後は自らの意志で、命を閉じたのでした。あっぱれ!!と言うしか有りませんが、悲しみも一塩でした。



命の尊さを教わらないで育った人達がおります、障害者は要らない!!と、殺してしまった人も、それを見ながら、心の中で賛同した人もいるかと思いました。


命の尊さを教わらない、ではなく、そう理解出来ない人達と言う方が正しいかも知れません。



私は妻と義兄とで、何度か市中のレストランへ行きました、病院の食事ではなく、社会の中で美味しいものをと。


義兄は、上手く食べることが出来ません、ラーメンを食べるのに一時間くらい掛かります。そして溢しまくります。タオルを首に巻きながら、下にタオルを敷きながら、時間が掛かっても箸で食べて貰いました。


その間、その風景を、様々な目が通り過ぎて行きました、時になが~いヨダレが出ます、それを妻が拭きます。今にも、きたねえなあと、罵声が飛びそうな風景でした。


でも、一生懸命食べている義兄をしっかりと見据えながら私は、もしこの世に神がいらっしゃるのなら、このようなお姿なのかも知れないと、真剣に思ったのです。


神に口無し、人をもって言わしむる


昔昔聞いた言葉を思い出して居ました。



長くなるのでこの辺で、ここまでお読みくださりありがとうございます。


いろいろなお考え、いろいろな価値観があります、どれを選ぶのか、何を選びたいのか、それは、それぞれの獲得した価値観が勝手に選んでくれるのでしょう。


障害者は要らない、この言葉は、その人が歩んで来た人生の一つの到達点なのかと思います、誠に残念です。