水彩画 徒然なるままに

自然の光と影を求めて、水彩画を描き始めました、そして懐かしい思い出もと思いました。しかし、ただの自己満足です、興味のある方はどうぞ

良寛さん「ことばの戒め」

以下、面白いと感じたので、紹介します。これは良寛さんが、
良寛さん自身に、ことばの戒めとしたと書かれて居ます。


1.ことばの多いこと
2.はなしの長いこと
3.手柄ばなしをすること
4.自分の生まれや身分の高いことを人にいうこと
5.人がものを言いきらないうちに、ものいうこと
6.たやすく約束をすること
7.人に物をやる前に、なになにをやろうということ。
8.物をやったことを他の人にいうこと
9.よく知らないことを人に教えること
10 悲しんでいる人の傍で、歌をうたうこと
11 人がかくしていることをバラすこと
12 目下の人を軽んじること
13 部下に荒い言葉を使うこと
14 心にもないことをいうこと


この中で、印象的なのは、8.でしょうか。親父のことを思い起こした
からです。


親父は、群馬の田舎から、12歳の時に丁稚奉公で東京に出されました
、いわゆる食い減らしというやつで、まあ追い出された訳です。


でも必死で頑張り、親父は小さな成功者となりました。


そしてこう思ったんだそうです、俺は確かに田舎を追い出された、でも
それを一つも恨みになんぞ思ってもいない、むしろ、今荒れ果てている
本家のことが心配なんだと。


本家は、荒れて居ました。当時は豚の飼育をいていたのですが、上手く
行っては居ませんでした。


親父は、本家の建て直しにお金を投じました、何百万か、今で言えばそ
の一つ上の単位だったと思います。お陰で本家は美しく蘇りました、そ
れを機会に、本家の長男も仕事に一層精を出し始めたのです。


追い出された家を建てなおした親父、そのまま黙って居られれば良かっ
たのですが、前記の1.2.3.も親父の性格の中に沢山あり、この
建て直しのことを、あちこちで話し始めたのです。


そして極めつけは、本家の長男の前で、近所の人に、これはワシが建て
直したんだと話したのです。


その後はご想像通りです、親父は、四面楚歌となったのでした。



親父の気持ちは察して余りあると私は思いました、追い出された家の
再構築、なかなか出来ることでは有りません。


でも、この時、思ったのです。もう少し私等子供達が、親父の話を、
一生懸命聞いて居れば、少しは違っただろうと。


誰も聞いてくれなかったから、何処かで話したくなる、12歳からの
苦労も、誰も聞いてくれない、そんな親父の寂しさを誰かが少しでも
感じていたら、なんて思ったのでした。


でもなあ、あの性格では、誰も近づけなかったかもな、と。


ほんの一時、私に見せたやさしい顔を今思い浮かべて居ます。