牛が居なければ、飼葉桶はきれいだ
このテーマは、ブログで知り合った牧師さんの言葉です(元は聖書ですね)。
これを言い変えると、
あいつさえ居なければ、自分の人生はどんなに良かったか!!
こう成りますか・・・・、
★写真はネットからです、飼葉桶は、牛のお椀ですね。
小学校の時、あの、絵ばかり描いているあいつが居なければ、
良かったのにと。
中学の時、この先生でなければ、どんなに楽しかったか、と。
高校の時、演劇で目立っていた奴、あいつさえ居なければ、もう少し俺はと
そして今でも・・・、あの店さえ無ければ、もう少しお客様が来る
だろうにと。
よく考えると、この「あいつ」が、我が人生の師だったのかも知れないって
多分気づいているのにと。
あいつが居なければ、どんなに良かっただろうと思った人生も、あいつが居
なかったら、酢の入っていない「サンラー麺」、ちょっとした塩が入ってい
ないアンコだったかも知れない。
でも、そのあいつが居る時は、とてもそうは思えない、何であいつは居るのか
って、心は雁字搦めだったよな。
牧師さん、そうなのですね。
牛が居なければ、飼葉桶はきれいだと。
何と単純な論理だろうか(笑)
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