仕事とは神の愛
もし神様がいらしたとして、神は愛だとしたら
その愛はどんな風に私達にもたらされて来るのか、と。
ふと、仕事、という言葉が浮かんで来ました。
仕事とは神の愛、くさい表現ですがご容赦下さい。
私達は、仕事で泣き、仕事で落ち込み、仕事で人生を無くしたりと、
一方では、仕事で喜び、仕事で生きがいを感じ、仕事で人生の素晴らしさを味わう
、それが仕事ですね。
何故なのか、仕事は一人では出来ないから、そう思います。
そこには、仕事の中に潜む、人間関係というどうしようもない避けようも
ない、壁が立ちはだかります。
牛が居なければ飼葉桶はきれいだと、前のブログで書きました。
馬鹿な言葉です、飼葉桶は、牛の為に作った桶でですから、この定義は
有り得ないのですが、私達は時に錯覚するのかも知れません。
仕事の中の人間関係に必ず現れる、あいつさえ居なければって、何でしょう。
その、あいつの為に私達は苦しみ、のたうち、人生を恨みもしたりと忙しい
です。
そのあいつが一番、自分の勝手を教えてくれている、そう思えるまでに費やす
時間は、多分人それぞれと思います。
仕事とは神の愛、人は人を愛する為に生まれて来たとは、冬季オリンピックの
歌詞ですが、私はこの歌詞が好きです。
仕事とは神の愛、やはりそうなのかも知れないと、書きながら無責任にも、
そう思う私です。
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