水彩画 徒然なるままに

自然の光と影を求めて、水彩画を描き始めました、そして懐かしい思い出もと思いました。しかし、ただの自己満足です、興味のある方はどうぞ

焼き場に立つ少年

先日、朋友の見舞いに佐賀を訪れ、二日目にその足で
長崎に向かいました、目的は原爆資料館でした。


この歳になるまで、一度も訪れたことが無かった不届き者
です。でも訪れて良かったなと、心底思いました。


その時ニュースで、11月の終わりころにローマ法王がいら
っしゃると、書かれて居ました。


そして法王は、この写真をすでに手に入れていると、それが
この「焼き場に立つ少年」です。


☆写真はネットからです。


原爆資料館は写真撮影オーケイなのですが、私はとても撮る
ことは出来ませんでした。


この写真は資料館の中央に飾られて居ました、誰もがしばらく
立ち止まりそして、涙を溢れさせるのです、たまらなくて。


この写真は米兵が撮ったものです、ですので海外にも渡った
のでしょう。


この少年の物語は、よく分かって居ません。でも、赤ちゃん
(彼の弟)を背負って、漁場で働いていたと記録されて居ま
した。


それだけでも大変な生活の中にいたと想像が出来ます。


そして赤ちゃんを背負ったまま、魚を掴もうと屈んだ瞬間に
その光は閃光と共に襲ってきたのです、爆心から約1.5キロ
だったそうです。


そしてもしかしたらこの少年は、この赤ちゃんに助けれたのか
も知れません。背中を襲った閃光は赤ちゃんをまともに襲いま
した。


屈んだ瞬間のこと、少年はそのまま倒れたのでした。



写真の赤ちゃんは既に死に絶えています、少年は促されてその
姿のまま焼き場を訪ねて、その順番を待っているのです。


少年も勿論、瀕死の重傷でしょう、でもそんなことはどうでも
良いと、少年の目が語っているのが分かります。



相田みつおの詩の一節を思い出しました。(詩のもとは白隠禅師)


 『君看(み)よや、双眼の色。 語らざれば、憂いなきに似たり。』 

あまりにも瞳の色が深いので、憂いなどないように見える、でも、
それは深すぎて、語れないだけなのです、と。



私は少年の写真の前に立ち、誰もが流すように涙を止めることは
出来ませんでした。この時の少年の気持ちに想いを馳せようとし
ても、少年の瞳に圧倒されただけでした。


ローマ法王がどんな方なのか知りませんが、この長崎・広島で起
きた歴史上最も悲惨な出来事に、愛を注いで欲しいと願いました。