水彩画 徒然なるままに

自然の光と影を求めて、水彩画を描き始めました、そして懐かしい思い出もと思いました。しかし、ただの自己満足です、興味のある方はどうぞ

逃げるな 倍返しを食らうぞ 2

そこは、私にとって地獄(本当の地獄は知りませんが)だった。


直ぐに来なきゃ良かったと、物凄く後悔し、あの一時間も居たく
無かった東京へ帰ろうと思った。


それが着いてから三日目、これが本当の三日坊主ですね。


こっそり荷物をまとめようとした時、頭の中をよぎった
言葉が有りました。



お前、何処でも良いと言ったな、本当か?


本当ですと、私。


俺、親父と約束したよな、こんな約束三日で破って良いのか?、ええ!!
と自問自答でした。良いわけなんか有りません。


親父は暗に、これからは、お前の人生を歩めと、言ってくれたに違いない
のです。


ノンポリ学生の私の日常は、夜中に家に帰り、昼過ぎに起きて
何かする訳でもなくぼーっとして、夕方になると友達のような
仲間と何処へと出かけるのでした。


そんな生活は嫌だ、何とかしたいと希求していたのも私です。


しかしなあ、こんな極端な変化は敵わないなと贅沢を言ってい
たのです。


今の中央食堂です、立派になって居ます。キャンバス内も、非常に上品になりました。厨房にはもう暴れ者も居なく、食は全部外注ですね。



私が就職?したのは、中学・高校・大学のキャンバス内にある、
大きな食堂でした。各職員さん達も来ますので、昼食時には、
1000人くらいの人達が食事に来るのです。


これは物凄く大変なのですが、それよりも私を悩ませたのは、
その厨房のメンバーの酷さでした。


そこは、社会で通用しなかった者達の巣窟だったのです。そういう
私も、同じ穴のムジナですが(笑)


朝は五時から、夜の八時まで、働き方改革もない、労働基準法
も弱い時代、有ったのはこの職場の暗黙のルールだけでした。


この暗黙のルールが酷かった、先ず先輩たち、朝は起きて来ない
のです。徹夜マージャン(時には昼間も)、酒浸り、ケンカ、そ
して何日も帰って来ない者達。


全く管理されて居ない職場?だったのです。たまには、厨房内で
もケンカは起きました。


ある日、酒に酔った先輩の一人が、寝坊しついでに、日頃から
憎かったのか、ある先輩に殴りかかって行きました。


そうしたら、その先輩、丁度天ぷらを揚げている時で、殴り掛か
かって来た彼に、大きな揚げ網(熱い油が滴っている)で彼の
顔面を叩いたのです。


私は見ていて、その鮮やかさに思わず「お見事!!」と心で叫んだ
のでした(いけないことです)。


殴りかかった彼は、そのまま病院へ送られました。軽い火傷と、
脳震盪でした。



帰ろうと思った三日間で、こんなことが起きていたのです。


そして私が担当したのが、1000人前のご飯を炊く炊飯でした。


その炊飯のリーダーが、殴られて入院した彼だったのです。


こりゃ駄目だ、帰ろうと、決意したのです、私。


そして思い出したのが、親父との約束でした。



結局私は帰らず、リーダーの居ない炊飯で、やったこともない
飯炊きを始めたのでした。


続く・・・・、


長くなるのでまた続きとします、不定期で書いていくこと
ご容赦下さい。



追記
この食堂での体験は、後に私の人生の基盤となったと思って居ます。
そのことまで、書ければよいなと思って居ます。