量子論が賑やかです、といっても私には何が何だか分からないですが、私自身もこの量子とやらで出来て居ると聞けば、何々!!と思わざるを得ません。 小さい、とにかく小さい、これくらい小さいと、それを実感することが難しいです。比べるものが有りませんので。でもその動きは、日常で見ることが出来ますね、例えば「光... 続きをみる
水彩画 徒然なるままにの新着ブログ記事
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☆描き過ぎたり、戸惑ったりしながら、少し進みました。 今日は寒く成りました、夕景の苗代、遠景をアルプスにしました。寒さと温かさ、この混在が良いなと思います。 桜が2分咲きくらいですか、行ったり来たりしながら春が来ますね。
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田んぼに、苗を植えた景色は美しい、昨年撮った写真を睨みながら、その時の感動を現したいと思いました。 しかし、難しいです、上手く描こうと思っているのです、何故でしょうね。 また、長い旅が始まりそうです。
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会社の駐車場の脇に、いつまにか育った枇杷の木がある、それも沢山生えている。 会社は創業から19年、その初めの頃の話を聞いた、ある職人さんが田舎から沢山の枇杷を貰ってきた、それを会社で全員が食べたのです、そして食べながら枇杷の種をペッペっと吐いた。 それが種まきだったらしい、翌年、それらしい芽が出て... 続きをみる
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パートさんから大根をいただきました。彼女の実家で柑橘類を栽培しているのですが、畑も有り、時折、いろいろいただいて居ます。 頭の中で、この大根が、鶏の出汁を吸ったら旨いだろうな、などど思い、鶏の骨付きを買い、鶏すき鍋を作りました。 採りたての大根って、旨いんですよ、スーパーで買う大根は少なくとも収穫... 続きをみる
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☆もう少しです。 私は市役所の担当の許可を得て、その体育館に入りました。そして一組一組のご家族に接しながら、どうか洗濯物が有りましたらお手伝いをさせて下さいと、お伝えして歩きました。 大きな不安を抱えてらっしゃる避難者の皆様、これからの生活、故郷への想い、帰れるのだろうかという、この全てが合わさっ... 続きをみる
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☆明日には完成と思って居ますが・・・・、 今日は3月11日、あれから6年です。ラジオでも、テレビでも、特集を放映して居ました。未だに仮設住宅に3万人の被災者が住んでいるという実態も放映されて居ました。 それを見ながら私は、等々力アリーナに避難していらした、福島の被災者の皆様を思いだします。等々力ア... 続きをみる
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☆あまり進みません、今週中にはと思って居ます。 三年置きのの免許更新、行って来ました。あれから6年、刻まれた記憶は忘れることは有りません。 世間ではゴールドなどと言う羨ましい制度に乗っている人々が居ますが、私は未だに「違反者」で、三年しか権利が無く、しかも更新は、鮫洲まで行かねば成りません。その鮫... 続きをみる
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朋とは友のことでしょう、人生で何よりも楽しいことの一つが、友との出会いです。昨日私は、40年降りくらいの友と、ひと時を過ごしました。 あの時の仲間達です、あの時って?、それは私が20代から30代の頃に関わった仲間たちです。それは武道館での催しで有ったり、日本青年館でのショーでした。 それはともかく... 続きをみる
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これはある日の、かみさんとの会話です。 私 最近カラオケで、CDが造れるらしいな 妻 ふーん(コーヒーを飲みながら雑誌を読んでいる) 私 一枚造って見ようかな、俺 妻 誰が聴くの・・・・・・ ☆久しぶりに花を描きました。失礼、画用紙の端が 写ってしましました。 かみさんのラストワード、かなり効き... 続きをみる
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長く成りすぎますので、結論をと思います。 私はこの掃除で、人間の奥底に流れる共通心理と感じる大切なことを学びました。誰もが(例外はあると思います)心の琴線を揺らすような出来事、それは多分「真実は劇薬」という、滅多にお目にかかれない体験なのかも知れません。 その初めが、たった一人での掃除でした。それ... 続きをみる
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私が反省しなくては成らない・・・、私は確かに聞いた、この言葉を、何だろうこの奥底から上がって来る身ぶるいは、でも何で反省なのか少しも分からない、外から赴任して来た先輩が、このだだっ広いホールを見て何を反省するのか、やはり分からないのでした。 翌日、厨房の朝は早い、私は炊飯でしたので誰よりも早いので... 続きをみる
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私が働いていた食堂の厨房、それをコの字に囲むように、大きなホールが有りました。一度に1000人くらいが食べられる広さでした。坪数にして800坪くらいですか、ええ、広かったです。 その床は、黒いPタイルが貼って有りました、このタイルが磨かれていると実に美しいのでしょうが、その景色を私は見たことが有り... 続きをみる
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人生で一番大切なこととは何だろう、人それぞれだから一人一人違うよねと言われそうだが、そうではなく、誰でも共通に大切なことがあるとしたら、それは何だろうか。 私はそれを、この職場で教わったと今でも思っている、今でもそう思っているということは、ずっとそう思って生きて来たと言って良いですね、しかし正直ず... 続きをみる
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私のお見合い、上手に断られたのですが、その時私はこんな風に思ったのです。 この世は嘘だらけ、本当のことを言われても何とも思わないのにと、そうやって表面を平和にして置く、そんなことをしていると、何処に真実が有るのか分からなくなるぞと。 しかし考えて見ると私は純粋でした、真実が大事と真剣に考えていたの... 続きをみる
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心理学者故河合隼雄の言葉です。 嘘はいけない、何故本当のことを言わないの!!と、怒る人が居ます。でもその人は、真実と言う、測れない程重い何かを、受け止める力があるのでしょうか、いやその前に真実の重さなんてことを、考えたことあるのでしょうか。 真実は劇薬、それくらいに捉えて居ないと、その劇薬を浴びて... 続きをみる
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妻の故郷に聳える(と言っても低い、右の山です)御浜富士です。 45年くらい前に、この故郷を私は父母と訪れました、妻を娶る為です。紀州熊野から更に山に入った所です。 田舎者の親父が、何て田舎なんだ!!と、名台詞を吐きました、それくらい田舎でした。 お袋は、妻の祖母に連れられて山に入り、松茸狩りを堪能... 続きをみる
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☆この絵は、横浜港近くの入り江です。 あれは幼稚園の頃、私には物凄く悔いた思い出があります、それを吐露して懺悔したいと思いました。 私の家は、お袋も第一線で働くクリーニング屋で、それはそれは忙しかったと幼い記憶が有ります。お袋を、商売に取られている、そんな記憶です。もう少し、甘えたい、そのように願... 続きをみる
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この言葉は、資生堂の以前の社長の言葉です、お名前忘れました(汗) 幸せという贈り物は、幸せだけを詰めてやっては来ない、その中には、これは受取りたくないと思うものも一緒に詰まっていると。やって来るもの、降って来るもの、自分に降って来るものは全部受取れと言う、欲張った言葉です。 自分に降りかかるものは... 続きをみる
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たまに朝食を取りに、ファミレスに行きます。これはその時の出来事です。 私が座った席の後ろには、家族連れが賑やかにして居ました。三歳から5歳くらいの女の子達が三人、大家族です。その子達、鳴り物を持ち、椅子の上を飛び跳ねて居ました。相当に煩かったです。 私は、仕事場の隣が保育園という環境で、その手の騒... 続きをみる
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今日は一か月に一度の検診日でした。 癌が大きくなっているのか、そうではないのか、結果を聞きに行きます。 死刑宣告をわざわざ聞きに行くようなもので、震えます。お医者は、イチイチ震えてなんか居られませんね、ごく普通に数値を見ながら、淡々と語ってくれます。考えて見ればこの淡々さが良いのですよ。 これが、... 続きをみる
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明日は、幹部のミーティングです。 私の病のことをちゃんと告げる予定です。 受け止めて、歩きだして欲しいと思って居ます。
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やさしい、やさしい姉でした。昨年末、クモマッカで倒れてそのまま帰らぬ人とと成りました。故郷はミカン畑の間にあるような所でした、それを思いながら、かみさんに絵を送ります。本当に仲の良い姉妹でした、かみさんの心の空白はと思うと、私が出来ることは余り有りません。
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何度かここを訪れている内に、何か故郷のような気がしてきました。日本は、山と海が近い列島、かみさんの故郷の熊野も、海岸からすぐに高い山々が聳えている。日本って良いなあと思いました。
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年を越し、終われなくなって来た「雪景色」、ちょっと大きな画用紙で、実力もないのに上手く表現したいという欲望に負けて来ました。進むと戻れないのが水彩画、油絵とは違うなあと勝手に思って居ます。 昔、ある先輩に、君は何を描きたいのかねと聞かれ、その問いの意味が分かりませんでした。今、箱根駅伝を見ながら、... 続きをみる
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明けましておめでとうございます、本年もよろしくお願い致します。へたっくそな絵と短文を、命が続く限り載せて行きたいと思っております。 昨年末は、突然のことが二度起きました。一つは義姉の旅立ち、一つは義叔父の旅立ちです。特に義姉は突然でした、昨日まで妻とほぼ毎日買い物をしたり、観劇に行ったりと双子の姉... 続きをみる
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パソコンの調子がおかしいです、それを直す知識もありませんが。今日まで仕事でした、ただでさえ完成は遠いのに、ちょっと止まって居ます。
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良くない癖が始まりました、絵が戻って居ます、やり直しの効きづらい水彩画ですが、ここはひと踏ん張りと思って居ます。
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今日は少し時間が有りました、日ごろは、寝る前の数十分くらいで、なかなか集中が出来ません、全部言い訳ですが。又、しつこくなって来ました、そして赤く成りすぎました。しかし、あと少しでと思って居ます。
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かみさんから、しつこいんじゃない?、このご意見におおいに影響されて、画面左側をいじり始めて居ます。トホホ!!~、何て影響されやすいんだ俺は、でもこういう変化を記録せねばと、思いました。三歩進んで二歩下がる、近代の亭主の常識です。
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今年はホワイトクリスマスには成らないと、予報士が断言して居ました。それではと、張り切っているのですが、少し思わぬ方向になって居ます。絵も音楽も人生も、難しい!
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だんだん悪くなってるんじゃない、とは、かみさんの言葉でした。しかし、雪は降り始めました、ここからが勝負と、もう見せるの止めよう。
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有る日私は、どさん子を訪ねました。 相変わらずの繁盛だった、先輩は私が来たことに気づいて居ません、それくらい忙しいのです。 ふと、洗い場を見ると、見知らぬ女性が立っていました。誰だろう、今まではこんな美人は居なかったし、近所のおばちゃん達が、交代で助けていた洗い場でした。 そして、もう一人、洗い場... 続きをみる
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降り始めた雪ですが?、難しい!!、上手く描きたい、もっともっとと、出来もしない欲望の中です。この上手く描きたい、が、いけないのです。
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少し進みましたが、未だ雪は降って居ません、無事に降ると良いのですが、過去に何度も失敗もしています。
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分け行っても分け行っても 青い山 この詩の本当の意味は知りませんが、この詩がピッタリと思う、山々の奥深い街道沿いに、その店はオープンしました。 その頃の先輩は孤独の中でした、しかし心の中は孤高だったのでしょう、そしてどさん子本部の反対を押し切って店をオープン、もし失敗したら、何てことは考えて居なか... 続きをみる
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描き始めです。だんだんと掲載をして行きます。 これが雪景色になるか、普通はマスキングしながら描いて行かないと難しいのかと思います。今年中に、雪を降らせたい、絵の中で(笑)
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これくらい山道でしたかねえ 家族には疎んぜられ、肝心の母親からは罵倒された先輩、それはあの山頭火の詩のような心境だったろうか 分け入っても分け入っても青い山 親孝行とは何だろう、この初心を貫徹せねばと分け入る山に、進んでいると思っても戻されてしまうのかも知れない、親孝行だって?、お前甘いよと。 あ... 続きをみる
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親孝行したいときには親は無し 墓に布団は着せられず 古い言葉ですが、これは親を亡くした時には響きます。あの時にああもすれば、こうも出来たのにと、思うのです。 ということは、いくら親孝行をしようとしても、親と間近に向かい合うと、それが出来なくなってしまうのが私達かも知れません。 先輩は、家族の反対を... 続きをみる
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☆先輩が開業したお店ではありません、悪しからず。 それから数日が過ぎ、有る日先輩が姿を見せました、先輩は心なしか緊張をしているようでした。 親父 これから言うことは、私の言葉では有りません。人生に何が一番大切なのかを教 わり、私が納得したことです。よろしいですか。 先輩 はい 親父 孝は百行... 続きをみる
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親父は真剣に聞いた、お母様がどうされたのですか、と。 先輩 少し長く成ります、お許し下さいますか? 親父 どうぞ 先輩 実はお袋の目が良くなく成りました、今は殆ど視えません、お袋は一人暮らしです 、齢70を過ぎました。 私は9人兄弟姉妹の9番目です、しかし今その9人は誰もお袋と一緒には... 続きをみる
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紀州大台ケ原からの眺めです。 兄貴の友人の話です。これは長く成りそうです、しかし書き置いておきたい話ですのでこの機会にと思いました。 私は、この先輩の生き方に、心から影響を受けました。しかし、そんなに親しい訳では有りません、何せ私より12歳年上でしたので、大人と子供だったと思い返して居ます。 先輩... 続きをみる
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60年ぶりのクラス会と書きましたが、正確には56年ぶりです、余り変わらない?、ですか、しかしここは正確に。 マリちゃんは、68歳になって居ました、当たり前か、クラス会ですから。 全員同じ年には違い有りません、年の確認など必要はないです・・・・、しかし。 若い!!、何とまあ違うのでしょうか、これは下... 続きをみる
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どのクラスにも必ず一人は居た、クラスのアイドル、いや憧れか それが我がクラスでは間違いなく、マリちゃんだった。 そして必ず先生が質問することがある、それは将来何に成りたいか?、です。 この質問に、悪ガキ達は、答えることなんて出来なかった、つまり何も考えて居なかったある悪ガキ仲間は、通信簿の点数1が... 続きをみる
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本当に馬鹿な選択だった・・・。 小学校の真ん中にそびえて居た桜の木が、切られてしまった。 その桜は、学校のシンボルだった、入学するとその桜の木の下で全員が写真を撮った、勿論卒業の時もそうだった、運動会の時は、その桜を中心に徒競争が行われた、あらゆる競技はその桜の周りだった。お弁当の時間もみな、その... 続きをみる
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山の手君近くの桜並木、季節外れで失礼!! 子どもと散歩する若い夫婦、桜と似合っているなと思いました。
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僕ちゃんのお友達よね?、上品なお母さんから鈴の音が響いた。 僕ちゃん?、悪ガキ達はその新しい日本語を知らなかった、が、それが山の手君のことであることは分かった。僕ちゃん、そういう言葉が有るんだ、そういう言葉が飛び交う世界があるんだと、それも発見だった。 ごめんね、僕ちゃんはお昼寝なの!と、お母さん... 続きをみる
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田園調布駅から四方に伸びるイチョウ並木です、正面が田園調布駅舎(見えないですね)で今は使われて居ません。私の生まれた街は、ここから離れた下町ですが、ここは自転車で来れるところ、良く遊びに来て居ました。
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何だ、まだ完成では無かったのかと、しかし完成などということは、実際には無い訳ですいわば何処で止めるかの問題、それが私は非常に苦手です。もっと、もっとと、腕もないのに止められない、そんな自問自答です。今回は、これで止めました、失礼しました。
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最もイメージに近い絵だと思いました、雨上がりの街道3です。自転車の親父はそのままです。何も変わって居ない!ですか、そんなもんですね。
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自転車を走らせてみました、向こうはトンネルです。トンネルの向こうはどうなっているのか、それが気になります。未来は不安と希望で出来ている、これって何かのコピーでした。
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紅葉って、一つの命の終わりです、葉っぱのフレディという童話も有りました。生まれ変わる葉っぱ達、その前に美しく輝くのでしょうか、大自然は素晴らしい、そう思う瞬間です。
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土砂降りの雨の中で車を飛ばして居た、気分も落ち込んでいた、ふと見ると、雨が上がり始め、そして陽が差し始めたのでした。 こんなことで、気分は上がったのです、懐かしい思い出です。
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函館山 夕景 有名な夜景を見たいと、娘夫婦と函館山へ。 しかし人人、人、その逆光のシルエットに魅せられました。
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真鶴港の朝です。 真鶴港に大きな貨物船が停泊して居ました、その赤茶けたボデイに何だか郷愁を感じ、ご苦労様と伝えました。朝の光が美しかったです。
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真鶴港の赤い貨物船が気に成りました。