水彩画 徒然なるままにの新着ブログ記事
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北海道、函館から札幌に向かう途中、何とも風光明媚な山並みが有ります。その中心が駒ヶ岳、妻と娘夫婦で行きました。 山の周りをこのような湖が取り囲んで居ます、入院前に出来上がる予定でしたが、上手くは行かず、加筆修正しました。でも、こうやって見ると、中途半端な絵ですね、もう少し直します。 北海道は、故郷... 続きをみる
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朝日新聞の「それぞれの最終楽章」というコラム、今回は平穏死で、特別養護老人ホームの常勤医石坂幸三氏が書かれています。 (すみません、死ぬ話ばかりで・・・・) 延命治療、石坂医師はこの延命治療をやりたがりません。そのご家族が是非にと頼んでも、それは最終的には仕方がないと「胃ろう」などを施すことは希に... 続きをみる
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自分自身とのコミュニケーションの深さに比例する。 これはかなり以前、心理学のようなことを学んでいた時に、先生がおしゃったことです。だから正しいということではなく、何故か妙に納得したことを覚えて居ます。 でも、これはどういう意味なのでしょう、人とのコミュニケーションは分かるのですが自分自身とのコミュ... 続きをみる
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☆農場を持つ蟻 葉切り蟻、ご存じでしょうか、私は知りませんでした。 しかし、知った途端にこの葉切り蟻のファンと成りました。葉切り蟻、何と農場を巣の中に持っているのです。 そこで育てているのは「きのこ」だそうです。 きのこは、蟻の幼虫の餌になるとのことで、これって自給自足ですよね。葉っぱを採取して巣... 続きをみる
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全然縁起でもない題名ですが、ご容赦下さい。 以下は、沢山の患者の最期を見取ったあるお医者さんの言葉です。 先生によると、 「人は生きたように死んでいく」 のだそうです。 しっかり生きてきた人はしっかりと亡くなっていく。 ネチネチ生きてきた人はネチネチと亡くなっていく。 だらしない人はだらしなく亡く... 続きをみる
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樹木希林さん、5年前に全身転移を告白されました。 全身転移と聞くと、聞いている方は、ああもう駄目なんだなと勝手に思います。でも実際にはなかなか死なない、そして彼女は冗談でこのように言います。 死ぬ死ぬ詐欺みたいと 私事で申し訳有りませんが、私は平成28年3月に癌が見つかり、その大きさにお医者さんは... 続きをみる
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台風の後の大地震、そんな風景を感じながら描いていたら、だんだんと絵が暗くなって来ました。 これで止めと思いました、絵なんか描いている場合か?と、馬鹿な自問をしていました。 渓流遠景、水墨画?、分かりません。
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今朝は何故か眠れず(ホルモン注射が響いていた)、4時頃でしょうか、テレビを点けたら何と、北海道で大地震のニュース。 昨日関西に台風が来たばかりではないか、これでは休む暇もないよと、誰もが叫んでいる気がしました。 ここには、昨日まで元気だった人達が、急に亡くなるという惨い場面が映し出されます。これは... 続きをみる
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さくらももこさんが亡くなったと聞いた時、何故?と思ったのは、もっと先に死んでも良い人が沢山いるじゃないかという、全く馬鹿な考えからでした。でもそれがいかに浅い考えか、それはいつも、私の思い出が教えてくれています。 思い出して居ます、今から72年前の春、私の兄は七歳でその命を奪われました。トンボを追... 続きをみる
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数と喧嘩だったら誰にも負けない!! これ、どなたの言葉とお思いですか、多分想像通りでしょう。今を騒がせている、相撲部出身のリーダーの言葉です。私、この言葉を読み、結構笑ってしまいました、品位もここまで無くなると笑いが出ます。 そして、これを読みながら思い出したのは、亡き義父の話でした。 戦争の話で... 続きをみる
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どこをどう直したんだと思われると思います。上辺の渓流の流れを修正しました。 失礼しました。
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大腿骨骨折、あの会社の親父が大きな怪我をしたよと、70才にもなり骨折じゃ大変過ぎると心配を沢山いただきました。 昨日も、お世話になっておる同業他社へ、仕事の打ち合わせに伺いました。伺うと同時に皆さんの目線は私の大腿骨の辺りに集中し、大丈夫ですか?と、おそるおそる目線を上に上げながら訪ねるのでした。... 続きをみる
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こんな絵を描いている内に、水って不思議だなあと感じて居ました。 さらさら流れる水はあんなに穏やかなのに、少しでも角度を増すと、こんな流れになるなんて、西日本の豪雨被害も、東日本大震災の津波も、全部水が変化した姿でした。 渓流から怒涛へ、そしてまた春の小川へ、その変化の標を描いて行きたいと思いました... 続きをみる
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この後彼は、東急エージェンシーを退職し、ヒーラーとして生きて行く道を選ぶのです。 彼の手からはいったい何が出て居るのか、その寿司屋で聞いた内容ですが、東北大学でいろいろ研究対象となったと聞きました。 それは人に近づけるとその部分を熱くさせます、東北大学では結局それが何であるかは分からかったのですが... 続きをみる
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いくら娘夫婦の別荘でも、呼ばれないと行けないのです。丁度完成した時に私は大腿骨骨折で入院、彼らも予定が狂ったのかと思いました。 ☆この写真は、先日公開しました。このデッキで、BBQなどをやるのです。 場所は、房総半島の鋸山の近くで、小さいながら海水浴場が目の前でした。風光明媚とはこのことかと思う程... 続きをみる
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何と言っても、私の宅配の思い出で今も心に残っている一番は、このことだろうと思って居ます。少々長くなりますが、ご興味のある方はご覧下さい。 ☆届けられなかったモーニング それは世田谷区等々力のお客様で、大層私共のクリーニングをお気に入り(私の思いこみかも)でした。 ある金曜日の朝、そのお客様から電話... 続きをみる
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これは私がクリーニングの宅配(外交)をしていた頃の思い出の一つです。こうやって社会のなにがしかを学んで来た、そんなことを今感じて居ます。 ☆見事な引っ越し(夜逃げ) これは見事でした、そのシュチュエーションとも言える前日祭も、今から思えば演出だったのだと思います。 ある日お客様から電話が入り、カン... 続きをみる
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木々の緑 赤いバラ 僕らのためにある 美しいものを見ると こう思うんだ なんてすばらしい世界だろう 青い空 白い雲 輝く美しい昼も 暗く聖なる夜も 僕は思う なんてすばらしい世界だろうと 空にかかる虹の色は 本当に美しいけれど 行きかう人たちの顔にも 美しい虹がかかっている 握手しながら 「元気か... 続きをみる
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立花隆氏(以降立花氏)は、迷っていると感じました。 万巻の書を読み、比べようもない程の学びを積み上げて、知の巨人と呼ばれている人が迷っている、そう感じました。 何を迷っているのか、それは、脳が死ねば人間は無になるという、究極の恐怖を癒す為に脳は沢山の「幸せ物質」を、その残された力の全てを掛けて我が... 続きをみる
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病院に入院していると、知らず知らずの内に、死が近くなると申しましょうか、そういう雰囲気を醸し出させる場所ですね。 そして暇な訳です、手術が終わり、リハビリが始まり、ある程度動けるようになると、その暇度はぐんと増して来ます。 そこで、本を読むことになるのですが、選んだ本はこれ、立花隆著「死は怖くはな... 続きをみる
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ナースセンターに引っ越したおじいちゃまの後すぐに、私と同世代と思われる御仁が入院されて来ました。 付き添いは多分息子さん、御仁は、点滴と酸素をあてがわれ、瀕死の状態でした。しかしそんな中でも、大きな声で、息子さんに訴えて居ました。 おい、今日俺は入院なんかしていられないんだ、手形が落ちないんだよ手... 続きをみる
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大部屋に入院して来るようなおじいちゃまでは有りません(私の主観)、入院して私の隣に来た時に、そのご家族の大層さにも驚きました。 娘さんでしょうか、何とも煌びやかな感じで、とても病院に見舞いに来たような感じでは有りません。そしてお母様でしょうか、その香りの凄いこと、これだけでも大迷惑でした。 そして... 続きをみる
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これは聞かれたか、そうでは無かったか余り覚えて居ないのですが、手術は局所麻酔にしますか?、全身にしますか?と、聞かれたのかなあ。 でも、聞かれるまでもなく私は臆病者ですから、全身麻酔に決めて居ました。手術中に、先生達の声が聞こえて来たり、メス、さあ骨を切断しますよ!!なんて会話と、ゴリゴリとした音... 続きをみる
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横浜シニア美術展に、出品を致します。ほとんど落選がない展覧会で、そういう意味でもシニア向けです。年寄りは、今更落選なんてと恨みますので(笑) ☆公開してはいけないのですが、もう何度も(いやこのブログで描いたようなものですから)公開して居ますので、ご容赦下さい。 大腿骨骨折で、いろいろ諦めたのですが... 続きをみる
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倒産する前の会社は、山中湖に別荘を持って居ました。山中湖から山の方へ歩いて10分くらいの、緑豊かな環境でした。 ☆こんな感じの別荘でしたかね、倒産と共に何処へでした。 初めての子をお腹に宿した妻と、それを気遣った両親と共に、夏休みに訪れました。初めての子、それが今の娘で40歳ですから、もう40年以... 続きをみる
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娘夫婦の別荘が完成しました、結構時間が掛かりました、設計士と大工の間にかなりの温度差が有ったようです。要するに、しゃれて設計しすぎたのかと勝手に想像して居ます。 場所は、鋸山からすぐの海水浴場もある海岸の道路際です、娘たちは毎週いろいろ用意の為に出かけて居ます。BBQなんかも打ってつけと思いました... 続きをみる
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むしろ、不十分な生き方を恐れなさい。 独 詩人 ベルトルト・プレヒト ☆ベルトルト・プレヒト、その人です。 この言葉、ムラウチ.コム様の、最後の方に載って居ました。ムラウチ様お借りします。 この言葉が何故か、胸の奥に真っ直ぐ入りこんで来たのです。 死は恐れて居ますが、こればかりは万人に降りかかるこ... 続きをみる
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パートさんとの会話です。 お昼休み、パートさん同士がペチャクチャペチャクチャ&モグモグタイム、一番楽しいひと時なんでしょう。 誰かが、こんなことを話しはじめました。若い、子供がまだ小さいパートさんに、ベテランのパートさん達が言うのです。 ベテラン 子供たちにね、お父さんは一生懸命やっているから感謝... 続きをみる
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また楽しからずや・・・・ 論語の一節ですが、今日はその私の友(朋)と逢う機会が有りました。 束の間の一時、それを胸に刻みながら、これが最後の出逢いかなどと思うのでした。 人は、一緒に働いていればそれは毎日一緒な訳です、夫婦をしていればその仲良さは別にして一日中一緒です、それが例え、一階と二階でも。... 続きをみる
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お庭に咲いた薔薇の写真、ネット仲間からお借りしました、少し以前のことです。 お借りして印刷ししみじみとそれを観察しながら、しまった!!と思い続けました。非常に美しい薔薇で、その薔薇達が朝日でしょうか浴びて居て、それはそれは美しいのです。 こんなの描ける訳ないじゃん!!と、落ち込んで居ました。 景色... 続きをみる
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6月1日は、今でも鮎の解禁日なんですね、そんな放送をやって居まして、昔のことを思い出しました。 ☆鮎は、独特のやさしい香りがしました。梨のような果物の香りでしたかねえ。 それは、相模川の小倉橋の裏手に崖があり、そこに前の晩から場所取りをしました。真っ暗な山から、その崖へ降りて行くわけです。しかし毎... 続きをみる
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こんなラジオ放送をやっていました、文化放送です。 子供の頃の思い出というか失敗、叱られた思い出、そんなテーマでした。 こんなエピソードを贈ってくれたラジオファンが居ました。それは小学校の頃の思い出、物凄く叱られた思い出として語られて居ました。 私は、リレーの選手として選ばれ、絶対負けられないと思い... 続きをみる
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検診の結果です。 私の病は、男性しか掛かれない癌です。この癌は、非常に進行がゆっくりであることが研究により明らかになって居ます。 しかしそれは、ある程度までで、ステージ3~4に成りますと、鈍行だった電車が新幹線に乗り替わるのです。熱海か小田原で、乗り換えるようなものです。 大阪まで、8時間で行くと... 続きをみる
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描き過ぎました、ヘタクソな証拠です。 全体の調子を整えるのに、あちこちいじり過ぎました。でも、敢えて掲載させて下さい。 絵を見ているだけで涼しくなるような、そんな絵を描きたいと思うこの頃です。いつかそういう絵をと思っております。 失礼しました。
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絵を描いたら、やはり絵葉書のような感じに成りました。 面白くもおかしくも無いなと、思いました。 生意気言えば、やはり、風や匂い、その景色がかもしだす雰囲気、自然の息吹、それらを感じながら描かないとダメなのでしょうね。 そう強く感じました。 では、他の絵はどうなんだなどと聞かれると、何とも答えようが... 続きをみる
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これはネットに出た記事です。アイロンを置こうと思ったとの挨拶文が話題になったそうです。以下は、その閉店文です。 御礼 第一クリーニング商会先代であるおじの元に 鹿児島から一人、電車を乗りつぎ出て参りました。 十五歳の時です。 無器用なもので 他の事は何ひとつ出来ません。 只々、この仕事を... 続きをみる
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新緑の森、こんな所を家族で散歩した記憶は有りませんが、無理やり親子4人、35年位前を思い出しながらの散歩です。 いろいろ有ったなあと、子供を描くと思いだすこと多いです。妻はよく赤い洋服を着ていたなと、赤にしました。 それにしても、水彩画にしてはしつこいです、でも、これが今の自分で、様々な水彩のテク... 続きをみる
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前回のブログで、私の考えを申し上げました。そうしたら(死は全てを無に帰す)、今の人生で「善を積む」意味なんて無いじゃないかと言うのです(それは誰でしょう(笑))。 善を積むとはどんなことでしょう、それは多分、良い心で日々を過ごすことに他ならないと思って居ます。ではその良い心とは、どんな心でしょうか... 続きをみる
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これは後年知ったことですが、奈良から十津川を抜けて、新宮へ向かうバスが有ると聞きました。 私は新婚時代に妻と、新宮から十津川を抜けて吉野を目指したことが有りました。走り始めて直ぐに思いました、帰ろうと、これは道ではないなと妻と悩んだのです。 今から40年前の十津川は、それはそれは見事な田舎でした。... 続きをみる
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バーテンダーが良い。 これはいつも聞くラジオで、パーソナリティが話していた。どんなシュチュエーションで出た言葉だったかは忘れましたが。 バーテンダーとは、こういう意味だろうか・・・・、 人生の達人に見える人 私のことを全く知らない人 でも、人の話を聞くことが出来る人 ただ淡々と聞くことが出来る人 ... 続きをみる
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この歳(70歳)になって、若い時より多分働いています。これって、若い頃私に知恵も無くただ怠けていただけなのかも知れません。その付けが、今頃現れている、そうも言えます。 明日は休み、この休みという響きの嬉しいことったら有りません。会社に行かなくても良いのですから・・・・、でも会社が嫌なのでも何でも有... 続きをみる