工場の裏手には、小さな川が流れていて、そこにどういう訳か葡萄の木が有りました。有りましたと過去形なのは、その木に昨年溶剤が掛かってしまい太い幹は枯れてしまったのです。 枯れた部分は切ってしまい、残ったのは、根から10センチ程の幹でした、もう駄目だろうなと思ったら・・・・、 写真が下手くそで分かりづ... 続きをみる
思い出のブログ記事
思い出(ムラゴンブログ全体)-
-
小学校の高学年の頃、悪ガキ三人の話です。 クラスの3分の2は、下町の悪ガキです、別に説明しなくても品位が有りませんから、すぐにわかります、そう服装も全然違うのでそれこそ一目瞭然です、私ですか?、勿論悪ガキの方ですよ(笑) ☆今の自由が丘(小学校はここから5分くらいです)、遊歩道の辺りです、おしゃれ... 続きをみる
-
-
小学校時代の仲間から連絡があり、クラス会をとのことでした。この頃出席出来て居ないので、今度はと思っていたところ・・・・、 〇〇さんが来るかもしれないよと、余計なことを追加されました。 〇〇さんかあ、懐かしいな、出来れば逢いたいのですが、逢いたくもないなあ、などと、あの頃を思い出して居ました。 そう... 続きをみる
-
描きはじめて、しまった!!と思ったのですが・・・、 水の中の風景に挑戦したいとは思って居ました、でもなあ、難しい、です。 昔撮った、川を真上から観た写真、川の中の魚が見えそうな景色です。 途中、諦めかけましたが、何とか最後まで来ました。
-
昔昔習った、賢人の言葉です。 その時は、そうだよな、良く意味も分からず、大事なことと思っただけだった、そんな記憶が有ります。 持久とは、たゆまず、後退させず、久しく持ち堪えながら 微善、あなたに出来るであろう「善」、無理のない善、隠れて野に咲く花のような善 こんなことを、たゆまず積んで生きましょう... 続きをみる
-
コミュニケーションを、キャッチボールで説明している心理学が有ります。 キャッチボールは、相手が取りやすい、相手の力に応じたスピードで、相手の受け取るタイミングを計りながら、ボールを投げます。これが狂うと、キャッチボールには成りません。 相手から来たボールを、強過ぎるボールで返せば、それはキャッチボ... 続きをみる
-
-
私のチーズは何処へ消えた、私のチーズを動かしたのは誰?、 等々、沢山の日本語訳が有った、有名な翻訳本の題名でした。 この言葉を、思い起こすような事件や話題が、毎日毎日世間を騒がして居ます。 この言葉に最もふさわしいのは、キャリアという、その人の人間世界での立ち位置でしょうか、キャリアを積んで辿り着... 続きをみる
-
-
-
-
-
この言葉、今でも忘れません、いや、これからも忘れることは無いでしょう。 言葉の暴力が叫ばれている、時に言葉の暴力は、体罰よりきついことがあります。それは、いつまでも心に残り続けることがあるからです。 この表題の言葉、私共は当時(10年くらい前)クリーニングの下請け工場の立場で、この表題のような言葉... 続きをみる
-
-
それは私を、動物から人間に近づけた時代、そう思って居ます。 そういう意味では、平成に感謝したいのです。 やっと人間らしく成れたかと最も感じたのは、やはり「病」です。 その前には、会社倒産、裁判、債権者からのひっきりなしの電話攻勢、それらの一つ一つが、私を育てたのかと思っております。 何故、病が私を... 続きをみる
-
-
-
-
一つは板橋区の事故の話です。 三十代のお母さんと、3歳のお子さんが、跳ね飛ばされて自転車も真っ二つになり、二人は亡くなったのです。 これは事故という言葉では語れず、その結果はむご過ぎます。亡くなったお二人のご冥福と、怪我された方々の一日でも早いご回復をと祈ります。 今回の加害者は、87歳の老人です... 続きをみる
-
ある日の朝、パートさんから電話が入りました。 ポスレジが立ち上がらないのと、その前にスイッチを押しても何の反応もないのと、困惑して居ました。 本社の担当が、そのパートさんに聞きました。 電源は繋がって居ますか?と。 え!!電源って、しばらくして、あら嫌だ、コードの先が外れて居るわ、ごめんないさい今... 続きをみる
-
-
先日のブログ、夜行列車の思い出、その翌日、娘を義両親に預けて私達夫婦は熊野の名所である「瀞峡」に行きました。その時に撮った写真を基に、思い出しながら描きました、時は早春でした。 ★これは県の観光協会が掲載している、実際の瀞峡の写真です。随分違いますが、イメージは近いと思いました(また、いい訳か!!... 続きをみる
-
-
-
-
-
それは、山寺の和尚さんの歌のことです、童謡で誰もが習い、誰もが歌い、余り疑問にも思わなかった?歌ですね。 この頃、猫を蹴ったり、犬を蹴ったりの動画を見るたびに、この歌を思い出します。そうしたら、この歌には「元歌」が有ったと、これもネットに出ていました。これが正しいのかは分かりませんが、このような戯... 続きをみる
-
-
-
朝、太陽が昇り一日が始まる、その始まりを当たり前と思いつつ、でも、これが実は当たり前ではないとこの頃、確かに思うのです。 その朝、妻が昨日の愚痴を言う、そうだったのかと、片耳で聞きながら今日の仕事は大丈夫だろうかと、想いを馳せる。 何だ貴方は私の言うことを聞いていないと、妻の言葉を聞きながら、私は... 続きをみる
-
-
-
昔、西陣に友達が居て、夫婦で遊びに行きました。その時の写真をもとに、着物の後姿に何人か、参加して貰いました(笑) 今その友人は、新田町(八坂神社のそば)という骨董の街で、古伊万里を売って居ます。 もう35年前の京都訪問、でも京都は今でも、あまり変わらないでしょうね。
-
現在、私共には、たった一人のクリーニング職人(技術者)さんがおります。彼は真面目で、当初から他の職人さんとは交わらず、孤高を通してきた人です。 前のブログ「職人さんの痛烈な一言」の後、一人そして一人と、退職をして行きました。その度に私は、仏壇の父に報告をしました。 何故なら、その職人さん達は、父が... 続きをみる
-
ちゃん、ではなく「さん」ですよね、百恵さん、でも、ちゃん、と呼びたいので(笑) 何億光年 輝く星にも 寿命があると 教えてくれたのは あなたでした 季節ごとに咲く 一輪の花に 無限の命知らせてくれたのも あなたでした Last song for you, last song for you 約束な... 続きをみる
-
職人代表 社長、俺たちの給与を下げる前に、社長の報酬を減らしたらどうですか? これは今から21年前の話です。 会社を立ち上げて、前の会社の職人さん達を雇い、でも何度も書いてきたように、宅配達はどんどん離れて行き、売り上げは3年で半減しました。 稼ぐ者達が居なくなり、残っている者達はアイロンを持ち品... 続きをみる
-
大学中退の私が、就職?したのは、ある学校法人の食堂でした。 私の資格は学校職員でした、ちゃんと、私立共済年金にも加入してくれました。 でも、その食堂厨房という職場はまるで、天国と地獄だったのでした。 ★学校法人が経営している、ショートコースのゴルフ場です、実に美しいです。 天国とは、文句ばかり言い... 続きをみる
-
ほとんど想像です。 今年は初詣らしい初詣には行けませんでした。ですので、絵の中で初詣です、それも人が一杯の(笑) 梅の花が散りはじめ、桃の花が咲き始めました。 もうすぐ桜ですね。
-
心の欲する所に従えども矩を踰えず この言葉は有名ですね、孔子の言葉です。 70を過ぎて、思うがままに生きても、道徳的に外れることはないと言う意味でしょう これはやはり凄いと思います、普通は、歳を取れば取るほど、我儘になり、勝手を尊び 自由気ままに生きたいと思うものです。矩を踰えずなんて、あり得ない... 続きをみる
-
-
-
皆さん、この記事を書かれています。 昨日、別れた友と話をした時、友とは思い出を共有することだと、それも友の大切な一面だと話をしました。 たとえ、亡くなってもそれは消えないのです。 3.11、これには強烈な思い出が有ります。そしてこのことは多分、毎年書いているのです、風化してしまわないように。 ☆ア... 続きをみる
-
-
-
-
ひろき君!、君の人生じゃないか!! 息子の名前はひろき、部屋は二階にあり、そこで勉強が始まったのです。そして、この言葉が、下の居間までガンガン聞こえて来たのでした。 アイデンティティという言葉が有ります、日本語では自己同一性、あの高校へ行きたい!!という自分と、それに対して努力をする自分が同一でな... 続きをみる
-
-
妻が私に言いました、息子には行きたい高校があるって、と。 それは私も聞いて居ました、行きたい高校なんて無い!!、よりは余程増しなことです。何故こんな言い方をするのか、息子の偏差値は最低だったからです。 己の身の丈を知らずに(全く勉強して来なかった)、どうっやって目指す高校に受かるのか、これまで通わ... 続きをみる
-
私のでは有りません、息子の思い出です。 息子は、私に似ず、正義感の強い、その分やんちゃな所もある中学生でした。中学三年間に私は何度呼び出されたことか、妻はもう慣れていて謝りようの菓子折りを用意している始末でした。 娘も同じ中学に通って居ました、先生は、あの〇〇さんの弟さん?と、驚いていたのです。娘... 続きをみる
-
前回の絵「小樽運河の夕景」の、反対側からの景色、昼間の運河界隈です。 運河に掛かる橋の上からの光景、観光客らしき面々が闊歩して居ます(笑)
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
日曜日の昨夜は、バレエ衣裳を集荷しに、東京文化会館に行きました。そこはバレエの殿堂ともいうべき劇場が有ります。 途中、東京タワーの脇を抜けて皇居前の通りに出るコースで向かいました。 今はもう、タワーと背を比べるようなビルが建ち、タワーの存在が孤高ではなく、兄貴に追いついた弟たちと共にという感じです... 続きをみる
-
夢のことを書かれているブログを見て、以前私が汗びっしょりになり、何度も同じような夢を見たことを書きます、そしてその「夢」に助けられたことを。 その頃私は、借金に追われ、家に誰かが訪ねてくると、電気を消して隠れているような日々でした。 私の見た夢は・・・・・、 倒産してその時既に無くなっていた、クリ... 続きをみる
-
-
-
-
-
会社が創業して、来年で20年、創業したのが50歳でしたので年齢はプラス20年加算です(笑) 21年前に廃業した前会社、そこにはクリーニング職人(今は技術者です)さんが10人以上居まして、その職人さん達を新会社は迎え入れたのでした、というより、それが新会社の目的だったかも知れません。 その物語はいず... 続きをみる
-
-
-
見ればただ なんの苦もなき 水鳥の 足に暇なき 我が思いかな 水戸光圀 光圀のこんな短歌が有名です。 これは、何気ない日常の下で、その日常を縁の下で必死で支えている家族や、仲間の気遣いがあることを忘れないでと、教えているのでしょう。 こういうことって、家族に問... 続きをみる
-
-
良いなあと思うこと 重い病を得て、自分が妻を看取る可能性が限りなく減ったことです。自分が妻を看取るなんて、とても考えられないことだからです、そしてきっと正面向いて出来ることではないと思うのです。 でもなあ、親父はお袋を看取ったよな、それも10歳も年下のお袋を、考えられないことだったろうなあと、つら... 続きをみる
-
-
前ブログ、シクラメンの香り、その妻になる女(ひと)と出会った翌日(確か)に、熊野の本宮大社方面に、新宮から熊野川を20キロ程、車で遡りました。 これは、熊野川上流に架かっていた吊り橋です(今は無いかも)、そしてその周辺は鮮やかに染まって居ました。 これはその時撮った写真から記憶を掘り起こしたもので... 続きをみる
-